クラシックClassic Relaxation BACH BEST /クラシック・リラクゼーション バッハ・ベスト
Classic Relaxation BACH BEST /クラシック・リラクゼーション バッハ・ベスト
商品名 Classic Relaxation BACH BEST /クラシック・リラクゼーション バッハ・ベスト
発売日 2023年08月30日
商品コード MIUM-4288
JANコード 4571117356435
定価(税込) 1,980円
収録時間 78分31秒

世界の名演奏家たちが奏でる、バッハの癒やしの旋律、やすらぎをとどけるヒーリング・クラシック・ベスト。


楽曲解説付

収録内容


  1. G線上のアリア(管弦楽組曲 第3番 二長調 BWV1068〜第2曲「エア」)

    バッハがライプツィヒにあるトーマス教会のカントル(音楽監督)を務めた1720年代半ば以降に作曲されたというのが定説。当初、管弦楽組曲第3番の第2曲「アリア」として発表されたが、100年以上を経てドイツのヴァイオリン奏者アウグスト・ヴィルヘルミがニ長調からハ長調に移調、ヴァイオリンの最低音弦のG線だけで演奏できるように編曲したことから、「G線上のアリア」として親しまれるようになった。

    楽曲解説:原田和典

    カール・リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ管弦楽団

  2. アヴェ・マリア(編曲:グノー)

    こちらも音楽家同士による、100年超えのコラボレーションだ。バッハが1720年頃に作曲した「平均律クラヴィーア曲集」第1巻第1曲「前奏曲」に、フランスの作曲家シャルル・グノーが主旋律をつけて1859年に発表。タイトルは、ラテン語で「こんにちは(ごきげんよう)、マリア」を意味する。聖母マリアに祈りを捧げた讃美歌で、シューベルトやカッチーニの作品と並ぶ“3大アヴェ・マリア”と呼ぶ声も高い。

    楽曲解説:原田和典

    ミッシャ・マイスキー(チェロ)、パーヴェル・ギリロフ(ピアノ)

  3. ゴルトベルク変奏曲 BWV988 ~アリア

    1741年に「クラヴィーア(鍵盤楽器)練習曲集」第4部として出版。不眠症に悩んでいたドレスデン駐在のロシア大使ヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク伯爵が、バッハに夜に心が休まるようなクラヴィーア楽曲の提供を求め、伯爵に仕えていたヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク少年がその譜面をチェンバロで演奏。「ゴルトベルク変奏曲」という題名で親しまれるようになった——という逸話がある。

    楽曲解説:原田和典

    アンドレイ・ガヴリーロフ(ピアノ)

  4. 主よ、人の望みの喜びよ(カンタータ 第147番《心と口と行いと生活で》~第10曲:コラール)BWV147

    教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」(全10曲)の第6曲と第10曲に入っているコラール。カンタータとは教会で歌うための楽器伴奏付きの合唱曲、コラールとは賛美歌を示す。1716年から取り組んでいた未完の楽曲に手を加え、23年7月2日、聖母マリア訪問の祝日に初演されたと伝えられている。20世紀に入り、ピアノ、ギター、シンセサイザー等の楽器への編曲も行なわれてきた。

    楽曲解説:原田和典

    村治佳織(ギター)

  5. メヌエット(アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳)BWV Anh.114 & 115

    バッハは1720年に先妻マリア・バルバラ・バッハに先立たれ、翌年12月にソプラノ歌手アンナ・マグダレーナと再婚した。この曲はスピネット(小型のチェンバロ)を演奏する彼女のためにバッハがまとめた「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」(1725年書き始めの版)に収められていたものの、近年、音楽学者のハンス・ヨアヒム・シュルツェらによって“クリスティアン・ペツォールト作曲”と修正された。

    楽曲解説:原田和典

    村治佳織(ギター)

  6. フルート・ソナタ 第2番 変ホ長調 BWV1031~第2楽章《シチリアーノ》

    1730年に作曲、1860年に出版されたという「フルート・ソナタ変ホ長調」の中間楽章。「バッハのシチリアーノ」という通称で親しまれてきたが、作曲者に関しては「バッハ単独説」「(先妻マリア・バルバラとの間に生まれた)息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ単独説」「親子共作説」があり、いまだに答えは出ていない。イタリアのシチリア島に題材を求めた8分の6拍子の楽曲だ。

    楽曲解説:原田和典

    スタニスラフ・ブーニン(ピアノ)

  7. アリオーソ(チェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調 BWV1056~第2楽章:ラルゴ)

    バッハが1729年から41年にかけて作曲、もしくは他者の楽曲をアレンジしたという「チェンバロ協奏曲」は最低13点ある。「チェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調」(1738年)は、「ヴァイオリン協奏曲 ト短調」を原曲として生まれた1曲。“アリオーソ”(歌うように)と題された第2楽章では、教会カンタータ第156番「わが片足すでに墓穴に入りぬ」(1729年)のシンフォニアの旋律が転用されている。

    楽曲解説:原田和典

    スタニスラフ・ブーニン(ピアノ)

  8. 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007〜プレリュード

    パブロ・カザルスやヤーノシュ・シュタルケルら数多くの巨匠が名演を残す、“チェロの旧約聖書”。いわゆる“バッハのケーテン時代”(1717~23年)に、宮廷のヴィオラ・ダ・ガンバ/チェロ奏者であるクリスティアン・フェルディナント・アーベルのために書かれたと伝えられている。第1番から第6番までのすべてが6つの楽章によって構成されているが、なかでも本曲は圧倒的な知名度を誇る。

    楽曲解説:原田和典

    ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)

  9. 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第1番 ハ長調 BWV846~プレリュード
  10. 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第1番 ハ長調 BWV846~フーガ

    9,10 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第1番 ハ長調

    全2巻からなる「平均律(適正律)クラヴィーア曲集」は、それぞれ24曲、24の調によるプレリュードとフーガで構成されている。なかでもバッハ自身が“指導を求めてやまぬ音楽青年のために”とメッセージを寄せた第1巻(1722年完成)は“ピアニストの旧約聖書”と異名をとる、教育面・芸術面の双方において途方もない高レベルに達した傑作。いまなお鍵盤楽器演奏を学ぶ者を触発している。

    楽曲解説:原田和典

    トレヴァー・ピノック(チェンバロ)

  11. 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006~第3楽章「ガヴォット」

    原題は「無伴奏ヴァイオリンのための6曲の独奏曲 第1巻」(第2巻は「無伴奏チェロ組曲」)、1720年に作曲された。各独奏曲の1、3、5楽章はソナタ(“緩~急~緩~急”の配列)、2、4、6楽章はパルティータ(舞曲で構成された組曲)となっており、ここで聴かれるのはパルティータの第3楽章の第3番「ロンド形式によるガヴォット」。ガヴォットはフランスのフォークダンスの一種、および舞曲のこと。

    楽曲解説:原田和典

    ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)

  12. フランス組曲 第5番 ト長調 BWV816〜アルマンド
  13. フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV813~サラバンド

    12.フランス組曲 第5番 ト長調
    13.フランス組曲 第2番 ハ短調

    1722年頃の作曲で、原題は「クラヴィーア(鍵盤楽器)のための組曲」。「フランス組曲」と命名した人物は定かではない。第1番から第6番まであり、すべて「アルマンド」(フランス語で“ドイツ風の”を意味する言葉)、「クーラント」(快活な3拍子)、「サラバンド」(荘重なテンポの舞曲=スペイン風)、「ジーグ」(イギリス~アイルランド風)で構成されている。ここでは「アルマンド」と「サラバンド」を聴いていただこう。

    楽曲解説:原田和典

    アンドラーシュ・シフ(ピアノ)

  14. 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043~第2楽章

    1730~31年頃に作曲されたという説が濃厚だ。第1楽章「ヴィヴァーチェ」、第2楽章「ラルゴ・マ・ノン・タント」、第3楽章「アレグロ」で構成されており、第2楽章のみニ短調ではなく、その平行調であるヘ長調で演奏される(8分の12拍子)。ここではヘンリク・シェリングと、その弟子格に当たるモーリス・アッソン(1934年フランス生まれ)が息の合ったツイン・ヴァイオリンで快演する。

    楽曲解説:原田和典

    ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)、ネヴィル・マリナー指揮/アカデミー室内管弦楽団

  15. ブランデンブルク協奏曲 第4番 ト長調 BWV1049~第1楽章:アレグロ

    1719年、バッハはブランデンブルク辺境伯のクリスティアン・ルートヴィヒの前で演奏を行なう。それに感銘を受けた辺境伯はバッハに楽曲献呈を頼み、その2年後に6つの協奏曲(旧作であったらしい)をまとめた自筆譜が捧げられた。原題は「いくつもの楽器による六曲の協奏曲」、19世紀にドイツの音楽学者フィリップ・シュピッタが「ブランデンブルク協奏曲」と命名した。

    楽曲解説:原田和典

    カール・リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ管弦楽団

  16. チェロ・ソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第1楽章:アダージョ

    原曲は、1736年から41年の間にライプツィヒで書かれた「2本のフルートと通奏低音のためのトリオ・ソナタ BWV1039」とされる。これがほどなくして「ヴィオラ・ダ・ガンバ(6~7弦の楽器)とチェンバロのためのソナタBWV1027」として編曲され、やがて「チェロ・ソナタ」として、ミッシャ・マイスキーやヨー・ヨー・マといった名手たちの演奏で親しまれるようになった。

    楽曲解説:原田和典

    ミッシャ・マイスキー(チェロ)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

  17. イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV807~アルマンド

    1725年頃までに書かれ、1805年に出版された。バッハが作曲したクラヴィーア用組曲の中で、最も早く成立したものの一つに数えられている。第1番~第6番まであり、基本的に7楽章で構成(第1番のみ「プレリュード」を加えた8楽章)。タイトルは「フランス組曲」同様、バッハのあずかり知らぬところでつけられたようだが、“とあるイギリス人のために作曲した”という説も根強い。

    楽曲解説:原田和典

    マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

  18. 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006〜第1楽章「プレリュード」( 編曲:ラフマニノフ)

    「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ホ長調」からは、すでに「ロンド形式によるガヴォット」をお楽しみいただいたが(当CDの11曲目)、今度は「プレリュード」をお届けしたい。演奏家はエレーヌ・グリモー、1933年に旧ロシア帝国の作曲家・指揮者・ピアニストであるセルゲイ・ラフマニノフがピアノ用にほどこした編曲に基づいて解釈されている。

    楽曲解説:原田和典之

    イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971~第3楽章

  19. イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971~第3楽章

    1735年の出版。原題は「イタリア趣味による協奏曲」という。ひとりの奏者が2段の鍵盤をもつチェンバロを駆使して、複数の楽器を対比させるように演奏することが求められる楽想であるため、独奏曲であるにもかかわらず“協奏曲”と名付けられたという説もある。ここでは、“プレスト”(極めて速く)との指示がある第3楽章を名ピアニスト、アシュケナージの解釈で聴いていただきたい。

    楽曲解説:原田和典之

    ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)

  20. 羊は安らかに草を食み(カンタータ《楽しき狩こそわが悦び》BWV208~第9曲)

    1713年2月27日、ヴァイセンフェルス公クリスティアンにひとつのカンタータが献呈された。表題は「楽しき狩こそわが悦び BWV208」、狩猟を趣味とするクリスティアンを称える言葉を詩人のザロモン・フランクが付け、そこにバッハが曲を付けたという。その第9曲目「羊は安らかに草を食み」では、“よき領主(=クリスチャン)のもとで穏やかに生活する羊(=領民)”が描かれている。

    楽曲解説:原田和典之

    カール・ミュンヒンガー指揮/シュトゥットガルト室内管弦楽団



アーティスト解説

文=原田和典

■カール・リヒター( 指揮者、オルガン・チェンバロ奏者)

“バッハの伝道師”との異名をとるドイツ出身の指揮者、オルガン奏者、チェンバロ奏者(1926- 81年)。ドレスデン聖十字架教会付属学校聖歌隊のメンバーとして宗教音楽に親しみ、ライプツィ ヒ音楽院を経て、49年に聖トーマス教会(バッハが27年間音楽監督を務めた)のオルガン奏者に 就任。50年にはヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのオルガン部門で第1位に入賞した。 また50年代半ばにミュンヘン・バッハ合唱団、ミュンヘン・バッハ管弦楽団を相次いで設立するなど、 バッハ楽曲の表現に生涯を捧げた。



■パーヴェル・ギリロフ( ピアノ奏者)

1950年、旧ソ連(現在はウクライナ領)ドネツィク生まれ。サンクトペテルブルク音楽院在学中 の72年にモスクワ国立ピアノ・コンクールで優勝し、75年にはショパン国際ピアノ・コンクールで第 4位入賞、78年にはヴィオッティ国際コンクールでもウィナーとなった。その後、旧ソ連からオースト リアに移住し、ドイツに腰を落ち着けた。1982年からはケルン音楽大学のピアノ科教授を務め、 05年にはボン国際テレコム・ベートーヴェン・コンクールを設立したものの、2013年に惜しまれつつ 第一線を退いている。



■村治佳織 (ギター奏者)

1978年、東京生まれ。3歳からギター演奏を始め、15歳でデビュー・アルバムを発表。高校卒 業後はパリのエコール・ノルマル音楽院に留学し、アルベルト・ポンセ教授に師事。99年の帰国後 から本格的なソロ活動を開始、NHK交響楽団をはじめとする国内主要オーケストラ、および欧州 のオーケストラとの共演を重ね、03年には英国の名門クラシック・レーベル“DECCA”と日本人初 の長期専属契約を結んだ。第5回出光音楽賞(最年少受賞)、村松賞、第9回ホテルオークラ音 楽賞など、数々の栄誉に輝いている。



■ヤーノシュ・シュタルケル( チェロ奏者)

パブロ・カザルスと並び称されるチェロの神格(1924-2013年)。7歳でブダペスト音楽院(現: リスト・フェレンツ音楽大学)に入学し、11歳でリサイタル・デビューを果たした。46年になると母国 ハンガリーを離れ、ウィーン、ジュネーヴ、パリでの日々を経て渡米。49年、フリッツ・ライナーの誘 いを受けてメトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席チェリストに就任した。58年からはインディアナ 大学の音楽学部教授となり、後進の育成にも情熱を注いだ。生涯で4度、「バッハ:無伴奏チェロ 組曲(全曲)」のレコーディングに臨んでいる。



■ヘンリク・シェリング( ヴァイオリン奏者)

ワルシャワ生まれのヴァイオリン奏者(1918-88年)。母親にピアノと和声のレッスンを受けた後、 7歳からヴァイオリン演奏を開始。ベルリンでカール・フレッシュに、パリでジャック・ティボーに師事し、 1937年にプルミエ・プリを獲得して音楽院を卒業した。33年にワルシャワ・フィルハーモニー管弦 楽団との共演でソロ・デビューを果たし、33年から39年にかけてパリでナディア・ブーランジェに作 曲を学んだ。46年、メキシコに帰化。同じ母国を持つピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン とのコンビでも数々の名演を残す。



■ネヴィル・マリナー( 指揮者、ヴァイオリン奏者)

サー・ネヴィル・マリナーとしても知られる、多彩なレパートリーを持つイングランド出身の指揮者 (1924-2016年)。ロンドン王立音楽院、パリ音楽院を経て、音楽学者/ 鍵盤楽器奏者のサー ストン・ダートと共にジャコビアン・アンサンブルを結成。ヴァイオリン奏者として活動するいっぽうで ピエール・モントゥー等に指揮を学び、59年にアカデミー室内管弦楽団を創設。69年から79年に かけてロサンゼルス室内管弦楽団を指揮し、その後はミネソタ管弦楽団やシュトゥットガルト放送交 響楽団の音楽監督も務めた。85年にナイト爵位を授与されている。



■エレーヌ・グリモー( ピアノ奏者)

「バッハは、音楽を通して信仰信念を表現した最後の作曲家のひとりだと思う」と語るピアニスト。 1969年、フランスのエクサン・プロヴァンス生まれ。9歳から地元の音楽学校に通い、13歳でパリ 国立高等音楽・舞踊学校に入学。85年からのパリ音楽院研究科在学中には、ジェルジ・シャーン ドルとレオン・フライシャーの薫陶を得た。87年にはダニエル・バレンボイム指揮のパリ管弦楽団と 共演。90年クリーヴランド管弦楽団の招きで北アメリカ・デビュー、翌91年に移住した。2002年1 月、フランス文化省から芸術勲章オフィシェを受けている。



■カール・ミュンヒンガー( 指揮者)

第二次世界大戦後に顕著となったバロック音楽再評価、その原動力のひとりに数えられるドイツ の指揮者(1915-90年)。5歳でピアノ、6歳でヴァイオリンを始め、ライプツィヒ音楽院ではヘルマン・ アーベントロートに指揮法を師事。ハノーファー交響楽団の指揮者を経て、45年にシュトゥットガル ト室内管弦楽団、66年にシュトゥットガルト古典フィルハーモニー管弦楽団を創設した。ほか、ウィー ン・フィルハーモニー管弦楽団とのコラボレーションも名高い。「バッハの演奏にはモダン・ピアノで はなくチェンバロを使うべき」との考えを持っている。



■ミッシャ・マイスキー( チェロ奏者)

自らを“世界人”と称するチェロ奏者。1948年、旧ソ連・ラトヴィア生まれ。8歳から演奏を始め、 65年にレニングラード・フィルハーモニー交響楽団との共演でデビュー。66年にはチャイコフスキー・ コンクールに入賞、その審査員である巨匠ムスティスラフ・ロストロポーヴィチからの指導も受けた。 約1年半にわたる強制労働を経て72年に出国し、翌年のガスパール・カサド国際チェロ・コンクー ル(フィレンツェ)優勝、カーネギー・ホール(ニューヨーク)でのリサイタル開催でその名を国際的に 知らしめた。バッハの音楽には少年の頃から親しんでいたという。



■アンドレイ・ガヴリーロフ( ピアノ奏者)

1955年、モスクワ生まれ。3歳からピアノを習い、モスクワ中央音楽学校ではタチアナ・ケストナー、 モスクワ音楽院ではレフ・ナウモフに師事。74年にはチャイコフスキー国際コンクールで優勝、さら にザルツブルク音楽祭でスヴャトスラフ・リヒテルの代役を務めて脚光を浴びた。亡命することなく 国外滞在の許可を得た旧ソ連初の芸術家であり、85年にはカーネギー・ホールでリサイタルを行なっ ている。2023年4月には、『アンドレイ・ガヴリーロフ J.S.バッハを弾く』と題する来日リサイタルを 開催した。



■スタニスラフ・ブーニン( ピアノ奏者)

ソビエト・ピアノ学校の設立者でギレリスやリヒテル等の師にあたるゲンリッヒ・ネイガウスを祖父、 スタニスラフ・ネイガウスを父に持つサラブレッドとして1966年、モスクワに誕生。17歳の時、ロン =ティボー国際コンクールで最年少ウィナーとなり、85年のショパン国際ピアノ・コンクールでは優 勝を含む3部門に輝いた。88年西ドイツに亡命、90年の来日時に録音された『バッハ・リサイタル』 は、同年の日本ゴールドディスク大賞を獲得。99年、ピアニストとしてはミケランジェリ以来の名誉 となるViotti d’Oro賞を受賞した。



■トレヴァー・ピノック( 指揮者、オルガン・チェンバロ奏者)

1946年、英国カンタベリー生まれ。数多くのバッハ楽曲に取り組んできた、古楽演奏のパイオ ニア的存在。ロンドンの王立音楽大学でオルガンやチェンバロを学び、66年に“ガリヤード・トリオ” でクラシック界に登場、その2年後にはチェンバロ奏者としてソロ・デビューを果たした。72年には ガリヤード・トリオを発展させた形でピリオド楽器(古楽器)のオーケストラ“イングリッシュ・コンサート” を結成し、約30年間にわたって音楽監督を務めた。2022年度シーズンより3年間、紀尾井ホール 室内管弦楽団の第3代首席指揮者を務める。



■アンドラーシュ・シフ( ピアノ奏者)

2022年にバッハ・メダルを受賞した、現代最重要クラシック・アーティストのひとり。“グレン・グー ルド以来のバッハ解釈者”との声も高い。1953年ブダペストに生まれ、5歳からピアノ演奏を開始。 フランツ・リスト音楽院(現:リスト・フェレンツ音楽大学)ではパール・カドシャ、ジェルジ・クルターク、 フェレンツ・ラドシュらに学んだ。99年には自身の室内管弦楽団“カペラ・アンドレア・バルカ”を創 設し、指揮者としても活動。2001年に英国の市民権を取得、14年にナイト爵位を授与された。現 在はサー・アンドラーシュ・シフと名乗っている。



■マルタ・アルゲリッチ( ピアノ奏者)

バッハからメシアンまでを奏でる現役最高峰ピアニストのひとり。1941年、ブエノスアイレス生まれ。 5歳からヴィンチェンツォ・スカラムッツァのもとで学び、55年の渡欧後はフリードリヒ・グルダ、ステファン・ アスケナーゼ等に師事した。57年にはブゾーニ国際ピアノ・コンクール、ジュネーヴ国際音楽コン クール(女性ピアニストの部)、65年にはショパン国際ピアノコンクールで優勝。96年にはフランス 政府より芸術文化勲章オフィシェを受け、98年より「別府アルゲリッチ音楽祭」の総監督を務める。 2018年、イタリア政府より功労賞「コメンダトーレ」を受章。



■ヴラディーミル・アシュケナージ( ピアノ奏者)

1937年、旧ソ連のゴーリキー(現:ニジニ・ノヴゴロド)生まれ。6歳でピアノを始め、9歳でモス クワ音楽院附属中央音楽学校に入学。55年の第5回ショパン国際ピアノコンクールでは2位に輝 き、56年のエリザベート王妃国際音楽コンクールでは優勝を果たした。63年にロンドンに移住し、 70年代以降は指揮者としても活動。87年から94年にかけてはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽 団の音楽監督、2009年から12年にかけてはシドニー交響楽団の首席指揮者、芸術顧問に就任。 2020年にコンサート活動からの引退を表明した。



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