クラシック癒しのセレナード~心を潤すモーツァルト
癒しのセレナード~心を潤すモーツァルト
商品名 癒しのセレナード~心を潤すモーツァルト
発売日 2024年01月17日
商品コード MIUM-4292
JANコード 4571117356565
定価(税込) 1,980円
収録時間 73分14秒

心が癒されるモーツァルト名曲をあなたへ。


解説(楽曲・アーティスト)カード付

収録内容


  1. セレナード 第13番 ト長調 K.525《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》~第1楽章

    誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、モーツァルトの代名詞とも言うべき超有名曲。日本でも今なおCMなど様々な場面で用いられている。 セレナードとは大雑把に言えば、恋人に向けた愛の音楽のことで、夜に演奏されることが多い。 この曲名は日本語にすると「小さな夜の音楽」となる。 通常は弦楽合奏、または弦楽四重奏にコントラバスを加えた弦楽五重奏で演奏される。作曲されたのは晩年の31才(1787年)の時だ。

    楽曲解説:松山晋也

    イ・ムジチ合奏団

  2. ディヴェルティメント ニ長調 K.136~第1楽章

    1772年、16才の時に書いたとされる3曲のディヴェルティメント(K.136~K.138、通称「ザルツブルク・シンフォニー」)の第1曲。 日本では「喜遊曲」と呼ばれる「Divertimento」とは「娯楽、気晴らし」を意味するイタリア語だが、2度目のイタリア旅行の直後に書かれた本曲にもイタリアの明澄な空気やイタリア人作曲家たち(サンマルティーニやタルティーニ他)から受けた影響が感じられる。 元々は弦楽四重奏曲として書かれたが、現在は弦楽合奏での演奏が多い。16才の天才児の瑞々しい感性がまぶしい。

    楽曲解説:松山晋也

    イ・ムジチ合奏団

  3. 歌劇《フィガロの結婚》~序曲

    「魔笛」や「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」などと並ぶモーツァルトの傑作オペラ。 1786年にウィーンで初演された時はまずまずの好評だったが、プラハでは爆発的ヒットとなり、翌年の「ドン・ジョヴァンニ」制作につながった。 原作は「セビリアの理髪師」でも知られるフランスの劇作家ボーマルシェの戯曲。 当時の貴族の腐敗ぶりを才智ある庶民がやり込める4幕風刺劇で、その丁々発止の人間模様へといざなってくれるのがこの軽快な序曲だ。

    楽曲解説:松山晋也

    クラウディオ・アバド指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

  4. 弦楽四重奏曲 第20番 ニ長調 K.499 《ホフマイスター》~第2楽章

    モーツァルトは生涯に計23曲の弦楽四重奏曲を書いた。 ハイドンに献呈された第14番~19番(通称「ハイドン・セット」)と、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に献呈された第21番~23番(通称「プロシア王セット」)の狭間にある本曲は、友人で楽譜出版業者のフランツ・アントン・ホフマイスター(への債務返済)のため1786年に作曲されたと考えられているため、通称「ホフマイスター」と呼ばれている。 晩年の彼らしい高度な技術が駆使された名曲だ。

    楽曲解説:松山晋也

    ウィーン・フィルハーモニー四重奏団

  5. ピアノ・ソナタ 第15番 ハ長調 K.545 ~第1楽章

    ピアノ学習者の誰もが必ず演奏する愛らしい曲。自身の作品目録にも「初心者のための小さなソナタ」と記されている。 弟子の練習用に書かれたとも言われるが、当時(出版は1788年)彼の生活は非常に困窮しており、より多くの生徒を集めるための教材用に書いたとも考えられている。 演奏は簡単だが、奏者の自意識や力みが楽曲の密やかさや自然な響きを台無しにする恐れがあり、ある意味、モーツァルト芸術の本質が最も顕わになった曲とも言えるだろう。

    楽曲解説:松山晋也

    内田光子(ピアノ)

  6. ヴァイオリン・ソナタ 第32番 へ長調 K.376〜第1楽章

    故郷ザルツブルクからウィーンに移住した直後の1781年、「作品2:ヴァイオリン伴奏つきのクラヴィアまたはピアノフォルテのための6つのソナタ」の第1番として出版された。 オーストリアの実業家アウエルンハンマーの令嬢ヨゼファに献呈されたので、これら6曲は「アウエルンハンマー・ソナタ」とも呼ばれている。 明朗さの中に緊張感が漂う曲調から、いよいよフリーの作曲家としてやっていくぞという当時のモーツァルトの心情が伝わってくる。

    楽曲解説:松山晋也

    アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)、クララ・ハスキル(ピアノ)

  7. オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370〜第1楽章

    オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによるこの四重奏曲の発表/初演は1781年だが、出版されたのは死後の1802年だった。 当代きってのオーボエ奏者として名声が広まりつつあったフリードリヒ・ラム(当時はマンハイム宮廷楽団の一員)のために書かれた。 モーツァルトはラムを高く評価しており、この4年前の1777年にも「オーボエ協奏曲ハ長調」(K.314)を書いている。奏者の名人芸が存分に発揮させられるような作りになっている。

    楽曲解説:松山晋也

    ハインツ・ホリガー(オーボエ)、オルランド弦楽四重奏団員

  8. ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド ハ長調 K.373

    6曲目「ヴァイオリン・ソナタ第32番」と同時期、1781年4月にウィーンで発表された。 当時のモーツァルトの雇い主であり、ウィーンに滞在中だったザルツブルクのコロレド大司教の命令によって大司教主催の音楽会のために作曲された。 独奏者を務めたのはザルツブルク宮廷楽団のヴァイオリン奏者ブルネッティ。当時のモーツァルトは大司教との関係悪化もあり、ウィーンで独立する意志を固めつつあった。彼のキャリアの転換点を象徴する作品でもある。

    楽曲解説:松山晋也

    ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン&指揮)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

  9. ディヴェルティメント 第2番 ニ長調 K.131~第2楽章

    1772年、モーツァルト16才の時の作品。後に決裂することになるコロレドがザルツブルク大司教に就任したこの年、モーツァルトはコロレドの歓心を買うために大量の作品を書き、見事、宮廷楽団主席ヴァイオリン奏者に任命された。 本曲もその一つだ。当時のディヴェルティメントは通常6楽章構成だが、本作は7楽章となっている。作品全体にザルツブルク的な通俗性とイタリア的な明澄さ、華やかさが入り混じった曲調は当時のモーツァルトならでは。

    楽曲解説:松山晋也

    ヴィリー・ボスコフスキー指揮/ウィーン・モーツァルト合奏団

  10. セレナード 第9番 ニ長調 K.320 《ポストホルン》~第3楽章

    1779年にザルツブルクで発表。全7楽章から成る大曲(演奏時間は約40分)で、4つの楽章だけ抜き出して交響曲として演奏する試みもある。 「ポストホルン・セレナーデ」という通称は、第6楽章でポストホルン(当時のヨーロッパで郵便馬車の出発到着を知らせるために吹かれた郵便ラッパ=バルブを持たない円柱状の金管楽器)が用いられるからだ。 この第3楽章は「コンチェルタンテ」と表記されているとおり、フルート、オーボエ、ファゴットなどの木管楽器が協奏曲風に用いられる。

    楽曲解説:松山晋也

    ヴィリー・ボスコフスキー指揮/ウィーン・モーツァルト合奏団

  11. フルートとオーケストラのためのアンダンテ ハ長調 K.315

    モーツァルトはフルートの音色が嫌いだったが、それでも何曲かはフルートのための作品を書いている。 そして、その大半(本曲、フルート協奏曲第1番と第2番、フルート四重奏曲第1~3番)が、裕福な医師で音楽愛好家(フルート奏者)のフェルディナント・ドゥジャンからの依頼で書かれたと言われる。 モーツァルトは1777年に数ヵ月マンハイムに滞在していた時にドゥジャンと知り合った。本曲は元々「フルート協奏曲第1番」の第2楽章として書かれたものだったようだ。

    楽曲解説:松山晋也

    オーレル・ニコレ(フルート)、デイヴィッド・ジンマン指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

  12. クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 ~第2楽章

    死(1791年12月5日)の約2ヵ月前に完成した本曲は、モーツァルトが書いたクラリネットのための唯一の協奏曲である。 これと「クラリネット五重奏曲 イ長調 K. 581」は当時ウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者として名声を博していたアントン・シュタードラーのために書かれたもので、まだ新しかったクラリネットという楽器の音色や音域の可能性を追求した名曲として名高い。 官能的でありながらも、死を予感したような諦観漂う澄み切った抒情性が見事であり、モーツァルトの“白鳥の歌”と呼ばれたりもする。

    楽曲解説:松山晋也

    カール・ライスター(クラリネット)
    サー・ネヴィル・マリナー指揮/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

  13. セレナード 第10番 変ロ長調 K.361《グラン・パルティータ》~第5楽章

    モーツァルトは18世紀後半にウィーンで流行ったハルモニームジーク(Harmoniemusik)と呼ばれる管楽合奏のためのセレナードを3曲書いたが、これはその一つ。 オーボエ2、クラリネット2、バセットホルン(クラリネット属の古楽器)2、ホルン4、ファゴット2、コントラバス(またはコントラファゴット)という計13人の大編成なので「13管楽器のためのセレナード」、あるいは「グラン・パルティータ」(大組曲)とも呼ばれてきた。 発表されたのは1783~84年とする説が有力である。

    楽曲解説:松山晋也

    オルフェウス室内管弦楽団



アーティスト解説

文=松山晋也

イ・ムジチ合奏団

世界で最も有名かつ商業的にも成功した弦楽合奏団の一つであるイ・ムジチ合奏団は、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の卒業生たちにより1951年に結成された。 特にイタリアのバロック音楽の演奏には定評があり、1960~70年代の世界的バロック音楽ブームの火付け役となったヴィヴァルディ「四季」は、日本でも大ヒットした(1969年発売の3回目の録音版はクラシック界初のミリオンセラーを記録)。



クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

クラウディオ・アバド(1933 - 2014)はミラノ出身のイタリア人指揮者。ミラノ・スカラ座、ロンドン交響楽団、ウィーン国立歌劇場、ベルリン・フィルなど世界の名だたるオケや劇場で指揮者/音楽監督を務めて頂点まで上りつめた。2003年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。 1842年に創設されたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、ベルリン・フィルと並ぶ世界のトップ・オーケストラ。ウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員から選ばれた精鋭によって構成されている。 オーストリア人または旧ハプスブルク帝国支配地域出身が大半を占めるメンバーにより、独自の典雅で柔らかな音色が受け継がれてきた。



ウィーン・フィルハーモニー四重奏団

ウィーン・フィルのコンサートマスターを1974年から2008年まで務めたウェルナー・ヒンクを中心に1964年に創設されたクァルテット。 現在まで何度もメンバー・チェンジを重ねているが、全員がウィーン・フィルの弦楽器奏者である。 これまでずっとウィーンにおける室内楽シーンに様々な形で関わってきており、まさにウィーン室内楽の粋を象徴する存在と言っていい。



内田光子(ピアノ)

1972年からロンドンを拠点に活躍してきた、名実ともに日本を代表するピアニスト(1948 - )。古典派~前期ロマン派を得意とするが、中でもキャリア飛躍のきっかけとなったのは、 1982年東京&ロンドンでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」であり、また名声を決定づけたのも1984年のモーツァルト「ピアノ協奏曲全曲演奏会」(イギリス室内管弦楽団を自ら指揮しつつ演奏)だった。



アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)・クララ・ハスキル(ピアノ)

ベルギー人アルテュール・グリュミオー(1921 - 1986)は第二次大戦中から活躍した20世紀を代表するヴァイオリニストの一人。 艶やかな音色と品格の高さを特長とし、特にヴィブラートはヴァイオリンの演奏史上最も美しいと讃えられた。 そのグリュミオーとのコンビで一世を風靡したのが、ルーマニア出身でアルフレッド・コルトーにも師事したピアニスト、クララ・ハスキル(1895 - 1960)だ。 モーツァルト演奏のスペシャリストとしての評価はとりわけ高く、その作品には今なお熱狂的支持者が多い。「自分は人生で3人の天才に会った。ウィンストン・チャーチル、アインシュタイン教授、そしてクララ・ハスキルである」とはチャップリンの弁。



ハインツ・ホリガー(オーボエ)・オルランド弦楽四重奏団員

スイス出身のハインツ・ホリガー(1939 - )は1960年代初頭から活躍してきた世界最高峰のオーボエ奏者。 演奏家としてだけでなく、指揮者としてもバロック音楽から現代音楽まで幅広いレパートリーを誇っている。また作曲家(ピエール・ブーレーズに師事)としてもたくさんの現代音楽作品を発表している。 オルランド弦楽四重奏団は1976~97年、アムステルダムを拠点に活動したクァルテットだ。

オーレル・ニコレ(フルート)・デイヴィッド・ジンマン指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団


スイス出身のオーレル・ニコレ(1926 - 2016)は、20世紀を代表するフルート奏者の一人。フルトヴェングラーの推挙により、1950年から1959年までベルリン・フィルの首席フルート奏者を務めた後、旺盛にソロ活動を展開。 バッハの演奏家として特に評価が高いが、現代音楽の演奏にも積極的で、武満徹のフルート独奏曲「声 -独奏フルート奏者のための-」や遺作「エア」はニコレのために書かれた。 デイヴィッド・ジンマン(1936 - )はロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団やボルティモア交響楽団など世界各地のオケで音楽監督を務めてきたアメリカ人指揮者。 アメリカの現代音楽もたくさん録音している。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、オランダ屈指の名門オーケストラ。以前はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と呼ばれていた。



カール・ライスター(クラリネット)・サー・ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ


ドイツ出身のカール・ライスター(1937 - )は1959年から93年までベルリン・フィルの首席奏者を務めた、20世紀後半最高峰のクラリネット奏者。 1985年にナイトの称号を授与されたイギリス出身の指揮者ネヴィル・マリナー(1924 - 2016)は、1959年に創設したアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(Academy of St. Martin-in-the-Fields。 日本では長年「アカデミー室内管弦楽団」と呼ばれてきた)を率いて活躍し、たくさんの録音物を残した。モーツァルトが主人公の大作映画『アマデウス』(1984年)のサウンドトラックも彼らの演奏である。



オルフェウス室内管弦楽団

ニューヨークを拠点に活動してきたオルフェウス室内管弦楽団は、チェリストのジュリアン・ファイファーを中心に1972年に創設されたアメリカの小編成オーケストラ。 基本的編成は弦楽器16、管楽器10の計26名。特定の指揮者を置かず、メンバー各人の自発性と創造性を重視することをモットーとしている。 レパートリーは幅広く、またクラシック以外の演奏家(ブラッド・メルドー、ウェイン・ショーター、ラヴィ・シャンカール他)との共演も積極的におこなってきた。



ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン&指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


ウィーン出身のヴォルフガング・エドゥアルト・シュナイダーハン(1915 - 2002)は、1938年から1949年までウィーン・フィルの第1コンサートマスターを務めたヴァイオリニスト。 1938年から1951年まではウィーン・フィルの首席奏者らとシュナイダーハン四重奏団としても活動し、また1956年にはルドルフ・バウムガルトナーと共にルツェルン音楽祭弦楽合奏団を創設した。ベルリン・フィルは言うまでもなく今なお世界の頂点に君臨するオーケストラだ。



ヴィリー・ボスコフスキー指揮・ウィーン・モーツァルト合奏団

ヴィリー・ボスコフスキー(1909 - 1991)はオーストリアのヴァイオリニスト/指揮者。 1949年から1970年まで、ヴォルフガング・シュナイダーハンのあとを受けてウィーン・フィルの第1コンサートマスターを務めたが、並行して指揮者としても活動。NHK 交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団の客演指揮者を務めるなど日本との縁も深い。 ウィーン・モーツァルト合奏団は1986年に結成され、モーツァルト作品を中心に演奏してきた総勢30名の室内オーケストラ。



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