にっぽんの流行歌 | にっぽんの流行歌 リンゴの唄 |
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商品名 | にっぽんの流行歌 リンゴの唄 |
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発売日 | 2011年03月04日 |
商品コード | MICO-3032 |
JANコード | 4571117352635 |
定価(税込) | 2,619円 |
収録時間 | 66分30秒 |
収録内容
戦後第一号の松竹映画「そよ風」の主題歌で、戦後録音による最初のレコードとして、また戦後第一号のヒット曲として歴史に記される。戦争で肉親を喪った、 SKDの並木路子が自らのそして人々の暗さを吹き飛ばすような明るい笑顔と歌声で抜擢に答えた。霧島昇とのデュエットであることは意外に知られていない。
【解説】三木 容
朝日新聞が公募したホームソング、NHKラジオ歌謡の2曲目として21年5月12日に放送された。2月の新人歌手公募コンクールに合格したばかりの岡本敦郎のデビュー曲だが、 戦争からの解放と明日への希望を歌ったまさしく時代の歌であった。音楽的にも、男女のハーモニー・デュオは新しい時代に相応しく斬新 だった。
【解説】三木 容
昭和14年出征兵士を送る歌として淡谷のり子で吹き込まれたが検閲にひっかかったため、「待ち侘びて」のタイトルの英語詩で洋楽タンゴとして発売された経緯があった。 昭和22年ようやく歌謡曲として日の目を見た。二葉あき子の絶唱は戦争での「別離」の傷が未だ癒えぬ多くの人々の心に深く沁みた。
【解説】三木 容
長谷川幸延作の連続ラジオ・ドラマが東宝で映画化された時の主題曲。色彩感のある1番の詩は色彩感はあるが、戦後復興期のモノクロのニュース映画のようなイメージが感じられる。 短調から長調にそしてまた短調に戻る、長調の明るさに抜けきれないメロディー展開に時代感があったのではないだろうか。
【解説】三木 容
昭和22年10月2日にレコーディングされ、直後の6日NHKラジオ歌謡で放送されている。スチール・ギターと近江俊郎の軽い美声が清新に響きヒットした。 後に高校の教科書にも採用された抒情歌謡の代表的な歌である。白馬と穂高が同時に見える所は無いそうだが、「波浮の港」から夕焼けは見えないことと同じで、 作品の傷とはいえないだろう。
【解説】三木 容
昭和25年1月に封切られた松竹映画 「懐しのブルース」の主題歌。映画ともども大ヒットし、高峰三枝子の戦後の代表作となった。此の映画は、歌うスター高峰の魅力を 活かした、一連の音楽映画の第1号であり、この成功に乗り「別れのタンゴ」「想い出のボレロ」「情熱のルムバ」と続いた。いずれも同名主題歌がヒットした。
【解説】三木 容
シヅ子が大ブレイク、「ブギの女王」が誕生した。つつましやかに着実に日常生活を回復し復興に向かう日本だったが、根底には猥雑でたくましい成長への エネルギーがあったそんな時代相を反映する流行歌だろう。曲先のこの作詩に当たり池真理子が夫君鈴木勝を大いに助けた。
【解説】三木 容
フランチェスカ修道院は実在せず、作詩の菊田一夫がその響きが気に入り創作 したものである。さすがに作詩家の感性 20 「フランチェスカの鐘の音がチンカラカン」 の 辺りが流行歌として感じさせる響きだろう。翌年発売されたセカンド・バー ジョンでは高杉妙子と菊田が別れたせいか、セリフなしとなっている。
【解説】三木 容
雑誌ロマンスに掲載された小島政二郎の人気小説「三百六十五夜」が新東宝で映画化され、その主題歌として作られ、映画共々大ヒットした。 この曲を最後に松原操が歌手を引退、愛染コンビ最後の曲となった。B面の映画挿入歌「恋の曼珠沙華」もヒットした。 この曲を下地にビクター佐々木俊一が「月よりの使者」をヒットさせている。
【解説】三木 容
当時のディレクターが社員旅行の下見に訪れた熱海で目にしたギター流しから企画発想された。企画当初のタイトル「湯の町ブルース」は古賀の曲調により「エレジー」 に変えられた。近江俊郎がてこずり20度あまりのテイクの末録音されたとか、「雨の夜汽車」とAB面をめぐっての激論の経緯があり、当時最大のヒット曲は世に出た。
【解説】三木 容
炭坑節にヒントを得て「トンコ節」というお座敷ソングを古賀政男が企画し昭和24年に発売したがぱっとしなかった。25年特需により夜の宴会真っ盛りの時代背景を元に 関西の宴席で広がり、26年加藤雅夫と久保幸江で再録され大ヒットした。巷で人気のオリジナルの2番、5番を残しより艶っぽさを強調したヒット盤にくらべ、 この作品はソフトである。
【解説】三木 容
石坂洋次郎の朝日新聞連載小説「青い山脈」が今井正監督により東宝で映画化されることになり主題歌として創られた。今井は旧制高等学校寮歌のような曲イメージが あってこの曲に難色を示したがコロムビアのディレクターがスタッフに根回し、なんとか採用された。クランク・アップが遅れ、映画公開前に主題歌は先行ヒットした。
【解説】三木 容
抑留者の間にはやった望郷ソング、「異国の丘」をのど自慢で世に出した中村耕造と近江俊郎が歌っている。此の曲もシベリアの抑留者に歌われていたもので、もともとは キングの林伊佐緒が昭和15年にレコード発売した「東京パレード」の替え歌である。替え歌として伝えられた曲に共通する判りやすく、歌いやすいメロ ディである。
【解説】三木 容
長崎医大の永井隆博士の被爆体験を綴った「長崎の鐘」「この子を残して」がベスト・セラーになり企画された。原作を巧みに平明に歌謡詩化したサトウハチローの筆力、 たんなる流行歌の域を越えた格調高く感動的な古関裕而の曲力、端正で抑え気味なリリカルな藤山一郎の歌唱力と3拍子揃った秀作は、人々の心に深くみた。
【解説】三木 容
美空ひばりは昭和24年8月「河童ブギウギ」でレコードデビューしていたが、こちらが実質的なデビュー曲といえる。新人少女を主役に10月に公開された松竹映画「悲しき口笛」 の主題歌で、物語の中で兄と妹を結ぶキー曲として使われた。 童謡でもない、従来の流行歌でもない、不思議な声質の少女のブルースは多くの人々の心を捉えた。
【解説】三木 容
昭和24年7月4日小川静江の歌唱によりNHKラジオ歌謡で発表され、翌年の1月に発売された。ソプラノの辻輝子が歌い、夫君の山田耕筰の編曲による歌曲的な仕上がりのためか、 オリジナルの此のバージョンは流行歌のような認知広がりは無かったが、曲自体は抒情歌の名曲として定着した。
【解説】三木 容
NHKドラマ「鐘の鳴る丘」の山男のテーマとして作られた曲を気に入った菊田がアイヌの熊祭の歌として詩をつけた。伊藤久男の豪快な歌唱が頭のカデンツァから爆裂、 聞き手に強烈なインパクトを与えヒットした。今でも喉自慢に歌われ歌謡スタンダードだが、ヒット性に否定的な中、発売まで押し切った制作者の慧眼に脱帽させられる。
【解説】三木 容
作曲者が韓国民話によるオペラ「春香伝」を創作中に浮かんだメロディに藤浦が詩付けをした。当初一般モニターには高踏だったのか評価は低かったが、美しい旋律と二葉あき子 の絶妙な歌唱と情感、高木東六の華麗なピアノと上質な抒情性が人の心を打たないわけが無かった。2年後に映画化されるほどのヒット曲となった。
【解説】三木 容
「東京ブギウギ」「ヘイヘイ・ブギー」「ジャングル・ブギー」と連続ヒットの、ブギーの女王笠置シヅ子の快作。関西弁の響き抑揚と、たたみかける言葉のラッシュ、早口の リズミカルな歌いっぷりは他の追随を許さない迫力に満ちたものである。笠置の力を存分に発揮させた、音楽職人服部良一のプロの技は凄まじいものがある。
【解説】三木 容
昭和25年3月公開されたイギリスのバレー映画「赤い靴」が爆発的にヒット、その「赤い靴」を下敷きに作られた和製タンゴ。日本に輸入された音楽で一番歌謡曲に自然に取り入れ られたのはブルースではなくタンゴだった。多くのタンゴ歌謡のヒット曲の中でも戦前の「マロニエの木蔭 (松島詩子)」と並ぶ名作中の名作だろう。
【解説】三木 容
昭和23年学制改革により、新制高校が生まれ、夏の甲子園大会も「全国高等学校野球大会」と変わることから、朝日新聞が新しい行進歌詩を公募した。たんなる勝者への讃歌では なく、ボールに賭けひたすら汗して闘う、すべての球児とその青春への献歌(オマージュ)としてみごとな力を持ったこの作が入選した。
【解説】三木 容