ジャズスウィング&ビッグ・バンド・ジャズ・ベスト
スウィング&ビッグ・バンド・ジャズ・ベスト
商品名 スウィング&ビッグ・バンド・ジャズ・ベスト
発売日 2009年09月23日
商品コード MIKI-4058
JANコード 4571117352208
定価(税込) 2,619円
収録時間 69分42秒

「A列車で行こう」「シング・シング・シング」など。ゴージャズにスウィングするビッグ・バンド・ジャズの決定版!


解説付


収録内容


  1. A列車で行こう / TAKE THE A TRAIN

    A列車はニューヨークのマンハッタンを走るハーレム行き8番街線(8Avenue Express)の通称。デューク・エリントン楽団のテーマ曲で、エリントンの片腕ビリー・ストレイホーンが1941年に作詞作曲した。ビッグ・バンド・ジャズの定番曲となり、ジャズ・ボーカルのカバーも多い。ジャム・セッションでもよく演奏される。「ハーレムのシュガーヒルに行くのならA列車に乗ってください」と歌われる。シュガーヒルはハーレムにある高級住宅街。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  2. イン・ザ・ムード / IN THE MOOD

    スイート&ダンサブルなスイング・ジャズで大人気を博したグレン・ミラー楽団の代表曲。1939年にサックス奏者のジョー・ガーランドが作曲。40年にグレン・ミラー編曲のバージョンが、全米チャート第1位を獲得した。何かが始まりそうなワクワクするテーマメロディーは、忘れられないインパクトがあり口ずさみやすい。日本でも映画の『スウィングガールズ』『瀬戸内少年野球団』やCMで使用されるなど、今も昔も大変な人気がある。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  3. シング・シング・シング / SING SING SING

    “キング・オブ・スイング”と呼ばれたジャズ・クラリネットの第一人者ベニー・グッドマンの代表曲。エンターテイナーのルイ・プリマ (ボーカル、トランペット)が作詞作曲。当初はプリマと仲のいいビング・クロスビーへ捧げて、「シング・ビング・シング」という曲名だったそうだ。グッドマン楽団が1938年に大ヒットさせた。日本でも時代を超えてテレビCMに使われるなど人気だ。映画『スウィングガールズ』でも登場した。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ+オールスターズ

  4. フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン / FLY ME TO THE MOON

    これも大人気スタンダード・ソング。日本でもジャンルを超えて人気のある曲で、テレビ・アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディング・テーマにも使われた。バート・ハワードが1952年に作詞作曲。当初の曲名は「イン・アザー・ワーズ」だった。62年に「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」と改題されて、ボサノバ・タッチの録音が大ヒットした。「私を月に連れてって。言い換えれば、キスしてほしいの」などと歌われる。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、東京キューバン・ボーイズ

  5. サヴォイでストンプ / STOMPIN'AT THE SAVOY

    "スイングの王様”と言われたベニー・グッドマン率いる彼の楽団が、1936年に大ヒットさせたダンサブルな人気曲。サヴォイは20~40年代にハーレムで大盛況を博したダンス・ホール“サヴォイ・ボールルーム”のこと。ストンプはリズムやビートの強いジャズで踊ることだ。サックス奏者のエドガー・サンプソンがチック・ウェッブ楽団時代に作曲。34年にウェッブ楽団が最初にヒットさせた。2年後、ベニー・グッドマン楽団らが数バージョンがヒットした。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ+オールスターズ

  6. ソリチュード / SOLITUDE

    ビッグ・バンド・リーダー、作曲家のデューク・エリントンが作曲したブルー・バラードの名曲。1934年にエリントン楽団がインストゥルメンタル・ナンバーとして初録音。すぐに歌詞が付けられて、歌曲としても人気が広まった。エリントンもこの曲では歌手をフィーチャーするようになった。インスト、ボーカルともに録音が多く、時代を超えて人気がある曲だ。歌手ではビリー・ホリデイが決定的な名唱を残し、得意レパートリーにした。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  7. チュニジアの夜 / A NIGHT IN TUNISIA

    ラテン・リズムを導入したエキゾチックな曲調で、エキサイティングでパワフルな演奏が楽しめるナンバー。ライブなどで演奏されれば盛り上がること間違いない。ビバップ革命をチャーリー・パーカーと共に推進しトランペット奏者ディジー・ガレスピーが、自己のバンドのピアニスト、フランク・パパレリと1944年に共作した。ガレスピーとパーカーの共演盤をはじめ、モダン・ジャズを代表する数多くのミュージシャンが名演を残している。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、東京キューバン・ボーイズ

  8. 真珠の首飾り / STRING OF PEARL

    グレン・ミラー楽団のアレンジャー、ジェ リー・グレイが作曲。1941年にミラー楽団のレコードが全米チャートの第1位を記録したムーディ&ダンサブルな大ヒット曲だ。作詞はエディ・デランジが手がけた。クラリネットがサックス・セクションをリードするミラー楽団独自のボイシングによる魅力が発揮されたナンバーだ。映画『グレン・ミラー物語』には、ミラーが妻の誕生日に真珠の首飾りをプレゼントするシーンが登場する。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  9. 酒とバラの日々 / DAYS OF WINE AND ROSES

    ジャック・レモン主演の映画『酒とバラの日々』(1962年)の主題歌として、ヘンリー・マンシーニが作曲、ジョニー・マーサーが作詞した。映画はアルコール中毒に苦しむ夫婦を描いた物語で、この曲は楽しかったバラのような日々を回想する。ヘンリー・マンシーニ自身がオーケストラで録音したバージョンとアンディ・ウイリアムスの歌が大ヒットした。ジャズ・カバーもすぐに数多く登場して、人気スタンダード・ソングになった。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、東京キューバン・ボーイズ

  10. 第三の男 / THE THIRD MAN-THEME

    オーソン・ウェルズが主演した不朽の名作映画『第三の男』(1945年)のテーマ曲。第二次世界大戦直後のウィーンが舞台で、不審な死をめぐりサスペンスが展開する。映画の名作ランキングでよく上位に入るイギリス映画だ。オーストリア人のアントン・カラスが作曲し、彼がオーストリアの民俗楽器ツィターを演奏したこの主題曲も有名になった。ジャズ系のカバーでは「The Third Man Theme」という曲名で、オーケストラ編成による録音が多い。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  11. 聖者の行進 / WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN

    ジャズ史上最初の巨人でトランペットのルイ・アームストロングが得意レパートリーにしたデキシーランド・ジャズの人気曲。作者不詳のトラディショナル・ソングだ。ジャズとアームストロングの生地であるニューオリンズでは、黒人の葬儀の時に演奏される曲としても有名だ。墓地へ行く時には悲しい曲で、帰りはこの曲で賑やかに行進する。デキシー系のカバーがやはり圧倒的に多いが、ビッグ・バンドやシンガーなどの録音もある。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  12. 茶色の小瓶 / LITTLE BROWN JUG

    グレン・ミラー楽団が1939年にヒットさせたナンバー。ミラーのレコードはリバイバル・ヒットで、スイング・ジャズに編曲したバーションだ。オリジナルは1869年に米国の作曲家ジョセフ・E・ウィナーが酒宴の歌として作詞作曲したとされる。「彼女はジンが、僕はラムが大好き」と歌われる。茶色の小瓶は洋酒の瓶を指すようだ。映画『グレン・ミラー物語』では、ミラー夫人に捧げる曲として登場する。カバーも大半がビッグ・バンド。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  13. チャタヌガ・チュー・チュー / CHATANOOGA CHOO CHOO

    グレン・ミラー楽団が出演した映画『銀嶺セレナーデ』(1941年: Sun Valley Serenade) 中のナンバーで、ミラー楽団の演奏が全米チャート第1位を獲得。ミラー楽団の主要レパートリーになった。セールスが120万枚を超え、世界最初のゴールドディスクに認定された。テネシー州チャタヌガ行きの汽車の歌で、Choo-Chooはシュッシュッ、ポッポのこと。マック・ゴードンとハリー・ウォーレンが汽車で旅行中に作曲したとされる。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  14. ドント・ビー・ザット・ウェイ / DON'T BE THAT WAY

    ベニー・グッドマン楽団のレコードが、1938年にヒット・チャート第1位を記録して人気曲となった。作曲はアルト・サックス奏者のエドガー・サンプソン。グッドマンも共作者としてクレジットされている。サンプトンはチック・ウェッブ楽団のメンバーで、グッドマン楽団にはアレンジャーとしてこの曲を提供した。初演はウェッブ楽団で、編曲もサンプソン。ミッチェル・パリッシュが歌詞を書いた。「その手はなしよ」という邦題もある。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ+オールスターズ

  15. ムーンライト・セレナーデ / MOONLIGHT SERENADE

    「夜曲」などを意味する音楽用語、セレナーデ(Serenade)をタイトルに入れたロマンティックなバラード。1940年代に大人気を博したスイートなジャズ・オーケストラ、グレン・ミラー楽団が39年に大ヒットさせた。ミラー楽団のテーマ曲になった。作曲はトロンボーン奏者でバンド・リーダーのグレン・ミラー自身。後からミシェル・パリッシュによる歌詞も付けられた。幅広いジャズ ・スタイルでカバーされている。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ+オールスターズ

  16. セントルイス・ブルース / ST. LOUIS BLUES

    "ブルースの父”と呼ばれるW.C.ハンディの代表曲。1914年に作詞作曲された。ハンディはセントルイスで黒人の女性が口ずさんだ嘆きのような一節をヒントにしてこの曲を書いたといわれる。16年頃からヒットして、広く知られるようになった。ポップス・ソングとして大成功した最初のブルース・ナンバーである。ジャズではルイ・アームストロング、キャブ・キャロウェイ、ミルス・ブラザーズなどが1930年代にヒットさせている。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ

  17. レッツ・ダンス / LET'S DANCE

    ベニー・グッドマン楽団がテーマ曲として知られるスイング・ナンバー。最初はグッドマンが出演した土曜の夜の3時間のラジオ番組「レッツ・ダンス」のテーマ曲だった。グレゴリー・ストーンらが1935年に共作した。ウェーバーの「舞踏への招待」中のワルツをベースにして作曲されている。グッドマン自身による録音が多数ある。映画『ベニー・グッドマン物語』では、グッドマン楽団の演奏が聴ける。スイング・ジャズの人気曲になった。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ+オールスターズ

  18. ティー・フォー・トゥー / TEA FOR TWO

    ミュージカル『ノー!ノー! ナネット!』(1924年) から生まれたスインギーなナンバー。ヴィンセント・ユーマンスの作曲、アーヴィング・シーザーの作詞。最初にヒットさせたのはポピュラー歌手マリオン・ハリスで、25年に第1位を記録した。デュエットによる録音の多い曲だ。映画『二人でお茶を』に主演したドリス・デイは、この曲をデュエットで歌い、得意レパートリーにした。歌手のみならず、インストゥルメンタルの名演も多い。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、東京キューバン・ボーイズ

  19. シャレード / CHARADE

    オードリー・ヘップバーン主演の映画『シャレード』(1963年)の主題歌。哀愁のある美しい曲だ。ヘンリー・マンシーニが作曲、ジョニー・マーサーが作詞。シャレードはジャスチャーゲームのこと。マンシーニ・オーケストラのレコードと、アンディ・ウイリアムスが歌ったレコードが大ヒットした。「ティファニーで朝食を』で主演のヘップバーンが歌った「ムーン・リバー」も大ヒットしたが、あれもマンシーニの作曲だ。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、東京キューバン・ボーイズ

  20. スターダスト / STARDUST

    最も有名なスタンダード・ソングのひとつ。音楽ファンでなくてもこの曲を知らないアメリカ人はいないだろう。録音バージョンも数え切れなくある。国民的作曲家のホーギー・カーマイケルが1927年に作曲した。母校を訪れて、叶わなかった恋を想い出した時にメロディーが浮かんだ。最初はラグタイム調の曲だったが、友人の助言でテンポをゆっくりし、曲名を「Stardust」にした。2年後、ミッチェル・パリッシュにより歌詞が付けられた。

    【解説】高井信成

    演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ


■原信夫 プロフィール

原信夫は日本を代表する屈指のビッグ・バンドリーダーで、テナー・サックス奏者。原信夫が率いたビッグ・バンド“シャープス・アンド・フラッツ”は、日本のジャズの歴史に輝かしい功績を残した。原信夫は2008年に第一線から退くことを表明、それにともないシャープス・アンド・フラッツもその長い歴史に終止符を打つことになった。原信夫は1926年生まれ。海軍軍楽隊で活動後、1951年に「原信夫とシャープス・アンド・フラッツ」を結成。それ以来、半世紀以上にわたり、日本のジャズ界の第一人者として活躍を続けた。58年にシャープス・アンド・フラッツは初リサイタルを開催し、その模様を収めた初アルバムを発表した。その後数多くのアルバムをリリースしてきた。クインシー・ジョーンズ、アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズなど、来日した大物ミュージシャンとの共演も多数ある。67年には日本人として初めて、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した。また、63年~74年までNHK紅白歌合戦の演奏を担当。64年~70年頃までは美空ひばりの専属バンドとしても活動した。美空ひばりの大ヒット曲「真赤な太陽」は原信夫の作曲である。原信夫の活躍はジャズ界、日本国内にとどまらなかったわけだが、彼の最大の功績は、シャープス・アンド・フラッツでダンス・バンドではなく、モダン・ジャズを導入しながらコンサート・バンドとして活躍したことだろう。日本の音楽界において、ビッグ・バンドをダンスの伴奏から鑑賞音楽へ進化させた最大の功労者のひとりである。

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