ジャズ | Cafe Time Music ジャズ・ボッサを聴きながら~マシュ・ケ・ナダ |
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商品名 | Cafe Time Music ジャズ・ボッサを聴きながら~マシュ・ケ・ナダ |
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発売日 | 2017年07月05日 |
商品コード | MIVE-4214 |
JANコード | 4571117354752 |
定価(税込) | 1,980円 |
収録時間 | 68分36秒 |
「マシュケナダ 」「おいしい水」などの永遠のボッサ名曲をお洒落なアレンジ&ジャジーにお届け、至福のひとときを♪
解説付
演奏・歌唱:渡辺貞夫、nanan、赤木りえ、重実徹、ホメロ・ルバンボ、キャロル・サボヤなど
収録内容
ブラジルのセルジオ・メンデスとブラジル66が1966年にヒットさせ、このグループの人気を高めたと同時に、ボサノヴァ・ブームの口火を切る曲にもなりました。作ったのはブラジルのソウルフルな歌手兼作曲家のジョルジ・ベン、63年に発表されました。曲名は、ブラジル・サンパウロあたりのスラングで、“まさか”とか“なんてこった”の意味だとか。日本のハナ肇とクレイ ジー・キャッツの「アッと驚く為五郎」はこの言葉をヒントに生まれたと言われています。
【解説】宮本 啓
ボサノヴァの神様、と呼ぶ人もいるアントニオ・カルロス・ジョビン(1927~94)1964年に発表、究極のイージーリスニング・ジャズともいえる人気曲ですが、根底にはもちろん“ボサノヴァ”フィーリングがあります。CTIというジャズ系レーベルがありましたが、そのカラーを意識して作った曲と言えるかもしれません。
【解説】宮本 啓
これもジョビンが作曲しましたが、作詞は映画「黒いオルフェ」の原作者としても知られるヴィニシウス・ジ・モライスが受け持ち、1963年に出版登録されました。その翌年、アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツが、当時まだほとんど無名だったブラジルの若手女性歌手アストラッド・ジルベルトとレコーディング、世界的なヒットになりました。ボサノヴァも、イパネマ海岸もこの曲が有名にしたといえます。
【解説】宮本 啓
あまりポピュラーではありませんが、「帆を立てて」「帆を張って」などの邦題もあります。あなたの心は帆を張った船のよう、海からも、時からも、荒れる潮の流れからも遠い・・と、ブラジルのシンガーソングライター、イヴァン・リンスが1979年に歌いました。アメリカのクインシー・ジョーンズがこの曲を気に入り、「ヴェラス」としてアルバムに入れ、曲の人気も作者の知名度も一挙に高まったものです。
【解説】宮本 啓
1965年に、マルコスとパウロ・セルジオのヴァーリ兄弟が作ったボサノヴァです。アメリカへ渡ってノーマン・ギンベルの英詞が付けられ「ソー・ナイス」という曲になり、原曲共々世界中に知れ渡りました。活動期間は短かったのですが、ひと頃“イパネマ生まれのミューズ”といわれたワンダ・ジ・サーとセルジオ・メンデスのレコードが日本ではとても人気がありましたっけ。
【解説】宮本 啓
「イパネマの娘」と同じモライス=ジョビン・コンビ1961年の作品です。「イパネマの娘」の1年前のリリースということになっていますが、ほぼ同時期に作られたものと考えられます。原曲名の“アグァ・ジ・ベベー” は、“飲み水”の意味で、作者二人が飲んだ湧き水の美味しさが曲作りのきっかけになったと言われています。アストラッド・ジルベルトの歌、セルジオ・メンデスとブラジル66などでヒットしました。
【解説】宮本 啓
これもジョビンが作曲しましたが、作詞はニウトン・メンドンサで、1950年代の末頃、まだボサノヴァが産声を上げたばかりの頃の作品といえます。ジョビンとメンドンサは幼馴染で、二人とも示し合わせたように音楽の仕事についたものの、ジョビンは主として作曲家、メンドンサは主としてピアニストの道を歩んだことはご存知の通りです。この“瞑想”は、そんな二人が私的に旧交を温めるためのBGMかもしれません。
【解説】宮本 啓
モライス=ジョビンのコンビ作品としては、本アルバム3曲目ですが、これは1966年、コンビの息もぴったり合った絶調期に作られました。英詞をN・ギンベルが付け、「ハウ・インセンティブ」として発表、原曲以上のヒットを記録しています。一部の日本盤で「おばかさん」という邦題が付けられたこともありますが、あまり浸透はしなかったようです。ボサノヴァ・ファンは原語のままの題の方が好き... ですものね。
【解説】宮本 啓
ジョビンがブラジルのヴァリグ航空会社の依頼を受けて1963年に作曲した珍しいボサノヴァPR曲です。原曲は単に“飛行機のサンバ”ですが、日本で“ジェット機”に置き換え、こちらの方が“カッコいい”と定着してしまいました。 曲は飛行機の窓外に広がるリオ・デ・ジャネイロの美しい景色を讃美しているのでしょう、心弾むリズムとメロディが聴き手の心をすぐにとらえてしまいます。
【解説】宮本 啓
1965年のアメリカ映画「いそしぎ」の主題歌で、ポール・フランシス・ウェブスター(詞)とジョニー・マンデル(曲)が作り、アカデミー主題歌賞やグラミー賞のソング・オブ・ジ・イヤーを獲得しました。日本民謡「五木の子守歌」に似ていると話題になったこともありますが、無数のカバー曲の中で一番光ったトニー・ベネットの歌が決定版ということになるでしょう。ラテン曲としても取り上げられることが多い1曲です。
【解説】宮本 啓
直訳すれば“電話”のこと。もう100年以上前の1916年に発表されたサンバの第1号曲と言われている「ペロ・テレフォーニ」(電話で)という曲を意識して付けた曲名だろうと推測されます。作曲家、プロデューサーのロベルト・メネスカル(曲)がジャーナリストで作詞もやるロナルド・ボスコリ(詞)と作りました。この二人、ボサノヴァ界の女王、ナラ・レオンとそれぞれ関係があるので、調べられると面白いですよ。
【解説】宮本 啓
アメリカン・ミュージックの中で特にソウルに強い影響を受けたというブラジルのシンガー・ソング・ライター、ジャヴァンが作詞作曲しました。曲名の「アラゴアス」は、ブラジル北東部、大西洋に面した州の名称です。南西に隣接するのが音楽ファンには耳馴染みのバイーア州、と書けば少し身近に感じますか? ブラジルの初代大統領デオドロ・ダ・フォンセカがこの州出身なので、ブラジル人が最も親しみを感じる州だとか。
【解説】宮本 啓
アメリカの作曲家でプロデューサー、指揮者でもあるクインシー・ジョーンズが1962年に発表、ジャズ、ラテン、ソウルなど多くのエッセンスを混合させて評判になった曲です。ボサノヴァのごく初期に、その土台を作った1曲と言えるでしょう。日本ではその後CMのBGMとしても人気曲になり、97年になってアメリカ映画「オースティン・パワーズ」のテーマ曲に使われ、世界的にリバイバル・ヒットしました。
【解説】宮本 啓
これもジョビンの作品ですが、知る人ぞ知る隠れた名曲といったところでしょうか。ベストセラー・アルバム「イパネマの娘」の1曲としてひっそりと(?)発表され、徐々に知られるようになりました。私は終わりのない夢を見ながら生きている。海のこと、空のこと、何でも何時間でも・・・と。曲名だけ見てフォスターやさだまさしの作品と勘違いをなさらないように。
【解説】宮本 啓
前出「いそしぎ」と同じように映画の主題歌です。1966年のフランス映画「男と女」のメイン・ テーマ曲で、ピエール・バルー(詞)とフランシス・レイ(曲)が作り劇中では俳優でもあるバルーがニコール・クロワジールとデュエットしていました。そして、この曲をきっかけにして作曲家フランシス・レイが大きく羽ばたいて行ったのはご存知の通りです。
【解説】宮本 啓
これも「夢見る人」同様、邦題だけ見て中島みゆきの曲かと早とちりをなさいませんように。作曲はこれもジョビン、詞をアロイジオ・デ・オリヴェラが受け持っているボサノヴァです。自分だけが知っていること、胸に秘めた多くの愛・・・でも、それがすべてあなたのものだったなんて知らなかった、といった内容の歌詞です。
【解説】宮本 啓
ブラジルのシンガー=ソングライター、イヴァン・リンスがマウリシオ・タパジョスと共作した1970年代後半の作品です。心変わりした彼女をなじるのが曲のテーマになっているように受け取られがちですが、曲はもう少し深い意味がありそうです。というのは、曲名になっている「アパレシーダ」とは、ブラジルで信仰されている聖人の名前で、良く知られた聖母マリアのブラジルでの呼ばれ方だそうですから。単なるラブソングではないでしょう。
【解説】宮本 啓
1954年にバート・ハワードが作詞作曲したバラード「イン・アザー・ワーズ」が原曲ですが、62年にピアニストのジョー・ハーネルがボサノヴァ調にアレンジし、曲名も「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」と変えたところ大ヒット曲になりました。現在では原曲名を覚えている人も少なくなり、フェリシア・サンダースの歌で好きになった筆者などは少し寂しい気がしたりするのですが。それはともかく、今では完全なスタンダード・ボサノヴァ曲になったことに対して拍手!です。
【解説】宮本 啓
1933年、栃木県生まれ。高校卒業後、上京。アルトサックスプレイヤーとして数多くのバンドのセッションを経て、1962年米国ボストンのバークリー音楽院に留学。日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍。写真家としての才能も認められ6冊の写真集を出版。2005年愛知万博では政府出展事業の総合監督を務め、音楽を通して世界平和のメッセージを提唱。
吉川忠英、高水健司、浜口茂外也、山本潤子、新川 博の5人のミュージシャンによる“大人が作る大人の為の音楽”このコンセプトに基づいて作られたユニット、nanan。ゆったりとした時間を楽しむために、楽曲、テンポなどが吟味され、名うてのプレーヤー達の燻し銀のような演奏が光る。
作詞家の重鎮、ジョタ・フェヘイラの娘。すでに7歳でコーラス・グループのメンバーとしてデビューしたキャリアを持つ。ボサノヴァの大御所、ロベルト・メネスカルとのレコーディング、ポール・サイモンや小野リサのバックコーラスなど多くの経験が彼女を見事に開花させた。このアルバムでは師と仰ぐメネスカルのアレンジで、彼女は水を得た魚のよう。
大学在学中からミュージシャン活動を開始。その後、山下達郎バンドに加入し、スタジオのキーボードプレイヤーとしては、CHAGE&ASKAの「SAY YES」、アレンジャーとしてはKiroroの「長い間」などのヒット作がある。若い頃から培ってきた、ジャズ/R&B系のオルガン・プレイを アイデンティティーとし、現代的なサウンドとミックスさせた新しいスタイルを展開させていこうとしている。
アメリカ・ネバダ生まれ。生粋のアメリカ人である彼女がブラジル音楽に目覚めたのは、少女時代に聴いたボサノヴァとポルトガル語の美しさに惹かれ、音楽と語学の勉強を始めたことに始まる。その後、ブラジルに渡り、ハービー・マンのプロデュースによる「BRASILIA」というグループでデビュー。このグループのギタリスト、ホメロ・ルバンボと結婚。その伸びやかで美しさに定評のある声は多くのファンの支持を得ている。
シンガーのジョイスと作曲家・アレンジャーのネルソン・アンジェロとの次女としてリオに生まれる。小さい頃から両親を始め、ミルトン・ナシメントやロベルト・カルロスらの有名アーティストたちが周りにいる環境で育ち、自らも女性歌手としてデビュー。新時代のナチュラルなブラジリアン・シンガーとして人気を得ている。
父親はピアニスト/コンポーザーとして名高いアントニオ・アドルフォ。彼はエリス・レジーナのピアニストとして知られており、コンポーザーとしても数々のヒットを持つ。キャロルは、18歳までの約2年半をロサンゼルスで過ごし、セルジオ・メンデスのアルバム「ブラジレイロ」(グラミー賞受賞作品)に、コーラスとして3曲参加。'95年、イヴァン・リンス、ジョアン・ボスコ等が出演したスペシャル・コンサートに於て、本格的にデビュー。今はトラディショナルでクラッシーな表現方法を持つヴォーカリストとして評価されている。
クラシックで鍛え抜かれた見事なまでの技術を駆使し、現代音楽、ニュー・エイジ、ヒーリングは言うに及ばず、ジャズ、ソウル、さらにはサルサまでをアグレッシヴにこなしてしまう、日本で唯一人の女性フルート奏者として知られている。実際、そのアグレッシヴさと実力は、これまで共演したティト・プエンテ、ラリー・ハーロウ、ウィリー・コローン・・・ といったサルサ界の大御所も認める程。またサンフランシスコの「コンコード・ジャズ・フェスティヴァル」や、キューバ の「ジャズ・プラザ」といった世界的に有名なジャズ・フェスティヴァルにも出演。
1955年リオ・デ・ジャネイロ生まれ。幼少の頃より、クラシックと音楽理論を学び、13歳よりギ ターを弾き始める。リオの音楽大学のクラシックギター科を主席で卒業。同時にブラジリアン・フレーバーを持つジャズ・ギタリストとして注目を集めていく。現在、世界的に最も成功しているブラジル系ジャズ・ギタリストとして、その卓越したギターテクニックは数多くのファンを生み出しておりジャズのみならずあらゆるジャンルの音楽シーンでその才能を発揮している。