海外アーティストノーランズ/ベスト・ソングス
ノーランズ/ベスト・ソングス
商品名 ノーランズ/ベスト・ソングス
発売日 2023年03月22日
商品コード DYCP-4089
JANコード 4547366596069
定価(税込) 2,200円
収録時間 77分19秒

日本でも圧倒的な人気を誇ったイギリスの姉妹グループ、ノーランズのヒット曲を収録。「ダンシング・シスター」「恋のハッピー・デート」収録のヒットコレクション。


歌詞・解説(吉岡正晴音楽ジャーナリスト、DJ
ソウル・ミュージックの情報を発信しているウェッブ「ソウル・サーチン」、同名イヴェント運営。1973年から六本木のソウル・ディスコ「エンバシー」などでフリーランスのDJとして活動。ディスコ、ブラック・ミュージック全般に詳しい。1975年以降執筆したライナーノーツは1300枚以上。ラジオ・テレビ番組出演、構成選曲、雑誌・新聞などに寄稿。翻訳本に『レイ・チャールズ 物語』、『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』 (デイヴィッド・リッツ著)、『マイケル・ジャクソン全記録』など。自著「ソウル・サーチンR&Bの心を求めて』など。毎月第3水曜新宿カブキラウンジでソウル音楽業界のゲストを迎えてのトーク・イヴェント 「ソウル・サーチン・ラウンジ」を開催中。毎週木曜日夜20時からJFN各局で生放送されている『AOR・ソウル・トゥ・ソウル』出演中。最新情報は、ツイッター、 https://twitter.com/soulsearcher216 あるいは @soulsearcher216で発信中。
)・対訳付


収録内容


  1. ダンシング・シスター

    イギリスで1979年11月に発売されたアルバム『ノーラン・シスターズ』(日本では『ダンシ ング・シスター』)のA面トップを飾った1曲。イギリスでエピック移籍後第3弾シングルとしてアルバムと同時発売。全英3位、アイルランドで2位。これに日本でのヒット性を感じた当時の発売元エピックソニーが翌1980年7月末に満を持して原題「I'm In the Mood For Dancing」によりキャッチーでわかりやすい「ダ ンシング・シスター」という邦題をつけ、シングル盤を発売。可憐なヴィジュアルとともに、見事に大ヒット。一躍日本でスターダムにのし上 がった。オリコン1位獲得。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  2. セクシー・ミュージック

    1981年3月21日、日本でのシングル第4弾としてリリースされた。日本でのみのシングル発売。1980年のエピック移籍第2弾アルバム『メイキング・ウェイヴス』 収録曲。27万枚以上のセールスをあげた。この曲で、1981年3月、東京音楽祭にエントリー、同祭に出場したベテラン、マンハッタンズを押しのけて、見事に優勝を果たした。この曲はその後日本のデュオ、WINK がカヴァー、1990年3月にリリース。オリコンで1位、32万枚以上のセールスを記録した。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  3. 恋のハッピー・デート

    「ダンシング・シスター」に続いて1980年10月21日、日本におけるシングル第2弾としてリリースされた曲。原題は、「Gotta Pull Myself Together (しっかり自分で立ち直る、の意味)」で、じつにうまいキャッチーな邦題をつけた。同年12月22日付けから5週間もオリコン洋楽シングル・チャートで1位を独走。 30万枚以上のセールスを記録。イギリスだけでなく、ニュージーランド、アイルランド、オーストラリアでもヒットした。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  4. アテンション・トゥ・ミー

    エピック移籍第1弾『ノーラン・シスターズ』に続く1980年10月全英発売の移籍第2弾アルバム『メイキング・ウェイヴス』(邦題、『恋のハッピー・デート』) 収録曲。シングルになり、イギリスでシルヴァー・ディスク (20万枚のセールス)を獲得。全英チャート5位。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  5. サンキュー・フォー・ザ・ミュージック

    1979年11月に全英発売されたノーランズのエピック移籍第1弾アルバム「ザ・ノーラン・シスターズ』(日本では、『ダンシング・シスター』としてリリース) に収録された作品。元々スウェーデンのポップ・グループ、アバが1978年5月にリリースし、全英33位、アイルランドで17位、イギリスでシルヴァー・ディスクを記録した曲のカヴァー。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  6. やさしくラブ・ミー

    日本で1981年12月1日に発売されたシングル第6弾。原題「Don't Love Me Too Hard (私をあまり愛しすぎないで、の意味)」で、全英14位、アイルランドで17位、日本で61位。エピック移籍第3弾アルバム『ポートレイト』収録。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  7. 夏は16才(シックスティーン)

    日本で1981年6月21日発売のシングル第5弾。原題 「Chemistry」で、全英15位、アイルランド11位、日本で23位。アルバム『ポートレ イト』収録。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  8. ときめきTWENTY

    1981年2月11日、日本でシングル第3弾としてリリース。『ノーラン・シスターズ』に続く1980年10月全英発売のアルバム『メイキン グ・ウェイヴス』 (邦題『恋のハッピー・デート』) 収録曲。原題「Who's Gonna Rock You (君をロックさせるのは誰?の意味)」にキャッチーなこの邦題をつけた。全英12位、アイルランド11位。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  9. ドント・メイク・ウェイブス

    イギリスでは「ダンシング・シスター」に続いて1980年初頭にリリースされたシングル。全英12位、アイルランド5位。エピック移籍第2弾アルバム「メイキング・ウェイヴス』からの最初のシングル盤になった。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  10. タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング

    元々アメリカのソウル・ディーヴァ、ダイアナ・ ロスが1973年に全米1位を獲得したバラードからミッドテンポになる佳曲。新進気鋭の作曲家、マイケル・マッサーが初めて書いた作品で、それがダイアナに歌われ、見事な大ヒットとな り、マイケルにとってもキャリアにおける最大のターニング・ポイントとなったもの。ノーランズのエピック移籍第2弾アルバム『メイキング・ウェイヴス』収録。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  11. エブリ・リトル・シング

    1982年エピック移籍第3弾アルバム『ポー トレイト』収録曲。また、シングル「ドラゴンフ「ライ」のB面にも収録された。バーニー・ノーランが書いた曲。バーニーがリードを取るバラード曲。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  12. クラッシング・ダウン

    日本で1982年6月21日に発売されたシングル第7弾。同じく『ポートレイト」収録曲。スプリームスなどでヒットした「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」を彷彿とさせるアップテンポな作品。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  13. スピリット、ボディ・アンド・ソウル

    1979年発売のノーランズのエピック移籍第1弾アルバム「ザ・ノーラン・シスターズ』収録。エピック移籍第2弾シングルとして同年9月にリリースされ、全英34位を記録。ノーランズは、日本ではダンサブルなヒットが続出したため、ダンス・グループ的に捉えられるが、実はレパートリーの中にはじっくりバラードを聴かせるものも少なくない。これなどはそんな一曲。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  14. あこがれアイ・アイ・アイ

    1982年3月にイギリスで発売されたアルバム『ポートレイト』収録。原題は「Every Home Should Have One」で、「一家に一枚(ひと つ)」といった意味。日本では1981年12月「やさしくラブ・ミー』のタイトルで発売された。1981年9月に全米発売されたソウル、ジャズ・シンガー、パティ・オースティンがこれをタイトルにしたアルバム『エヴリ・ホーム・シュド・ハヴ・ワン』、シングルを発表、ヒットさせた。イギリスの作曲家チームであるフランク・マスカードミニク・ブガッティの作品。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  15. シンプル・ケース・オブ・ラヴィング・ユー

    1982年イギリスで発売されたアルバム『ポートレイト』収録。リード・ヴォーカルはモーリーン。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  16. ドラゴンフライ

    1982年、のちにトーク・トークなどにかかわるソングライター、ティム・フリーズ・グリーンとのちにソングライターとして売れっ子になるロバート・マット・ラングの奥方で、自身もシンガーとして活動していたスティーヴィー・ラングが書いた曲で、シングル発売された。長らくアルバム未収録だったが、2010年に再発された1982年のアルバム『ポートレイト』のボーナストラックとして収録された。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  17. LOVE 恋しくて

    これは、元々はポール・ブリスが書き、彼のポール・ブリス・バンドが録音したもので、1980年、アメリカのエイミー・ホランドが録音、ポッ プ・チャートで22位を記録するヒットになったもの。その後、ダン・シールズもアルバム『ストー ンズ』でカヴァー。さらにその後、1982年にノーランズがカヴァーした。1982年発表のエピック移籍第3弾アルバム「ポートレイト』収録。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  18. つらい噂

    1979年11月全英発売のエピック移籍第1弾アルバム『ノーラン・シスターズ』に収録。英語原題は、「Don't Let Me be the Last to Know」。同名曲を2000年にブリトニー・スピアーズが録音し、翌年ヒットさせているが、これとは同名異曲。タイトルは「そのことを知らされる最後の人にしないでね」という、定型の言い回し。「ちゃんと、先に私に話してね」というニュアンスだ。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  19. ミス・ユー・ナイツ

    『ノーラン・シスターズ』に続く1980年10月全英発売のエピック移籍第2弾アルバム収録曲。元々は、1975年にイギリスを代表するシンガー、クリフ・リチャードがアビー・ロード・スタジオで録音し、同年暮れから大ヒットして全英チャートで15位を記録した曲のカヴァー。イギリスのウエストライフやマリー・オズモンド、ド ビー・グレイ、アート・ガーファンクル、リック・スプリングフィールドなどもカヴァーしている。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  20. 涙の別れ道

    979年10月全英発売のエピック移籍第1弾アルバム『ノーラン・シスターズ』収録。元々は、アメリカの大御所ポップ、ソウル・シンガー、ディオンヌ・ワーウィックが1979年夏に大ヒット させたもの。ポップ・チャートで5位、ソウル・チャートで18位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでも5位を記録。アメリカではシングル盤が100万枚以上売れ、ゴールド・ディスク認定。ディオンヌの代表曲のひとつになった。また各国語でもカヴァーされている。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

  21. ゲット・レディ

    1979年11月全英発売の「ノーラン・シスターズ』に続くアルバム「メイキング・ウェイヴス』 (1980年10月発売) 収録曲。元々、アメリカ・モータウンのソングライターであり自身もシンガーでもあるスモーキー・ロビンソンが書き、同レーベルのテンプテーションズが1966年に大ヒットさせた。その後、同じモータウンこの白人グループ、レアアースがカヴァー、1970年ポップでトップ10に入り大ヒットにとなった曲のカヴァー。

    【解説】吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)


1980年代日本の洋楽シーンを席巻したガールズ・グループの最高峰
ノーランズのグレイテスト・ヒッツ登場

吉岡正晴(音楽ジャーナリスト、DJ)

日本でも1980年 「ダンシング・シスター」の大ヒットをきっかけに、大変な人気を獲得したノーランズ。女性主導のアーティストとして、日本ではカーペンターズ、またダンス系アーティストとしてはアラベスクなどと並ぶ人気者となった。いわゆる洋楽アーティストとして抜群の人気を獲得。その人気ぶりは一時期、洋楽の女性アイドル的な存在になった。 そんなノーランズは、アイルランドのダブリンで知り合った父トミー・ノーラン (1925年~1998年)と母モリーン・ノーラン (1926年~2007年) が子供たちを 育てるうちに結成した兄弟姉妹のファミリー・グルー プだ。一家は1962年、イギリスのブラックプールに 移住。1960年代中期から8人兄弟姉妹のうち、上の7人と両親2人の9人組で活動を開始。当初は、「ザ・シンギング・ノーランズ」、さらに1973年から1978 年まで姉妹だけとなり「ザ・ノーラン・シスターズ」と改名。1979年、さらにシンプルに「ノーランズ」となり、5人組として世界的な人気を博した。特に日本では 「ダンシング・シスター」 が1980年夏から大ヒット、1981年3月の第10回東京音楽祭に出演、優勝し人気を決定づけた。 最大の魅力は、各姉妹がリード・ヴォーカルを取り、声質の似ている姉妹のコーラス・ハーモニーが絡む点だ。そして、誰にでもわかりやすく覚えやすいメロディーの楽曲が多くの人たちの心をつかんだ。
イギリスのヒットメイカー、ベン・フィンドン、マイク・マイヤーズ、ロバート・プゼイらのプロデュース、楽曲でヒットを飛ばすようになり、特に日本でもスターダムにのし上がった。メンバーのうち、多くの曲でリードをとっていたバーニーことバーナデットは2013年7月4日、52歳の若さで癌のため亡くなった。
ザ・シンギング・ノーランズ、ザ・ノーラン・シスターズ時代にもアルバムを出しており、 ノーランズになってからは多数のアルバム、シングルを出している。また、日本での人気を背景に、Jポップの楽曲に英語詞をつけたアルバムを複数リリースしヒット、第33回(1991年12月31日発表) 日本レコード大賞で、「企画賞」を受賞した。

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