海外コンピレーション | ディスコ・オール・ベストヒット |
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商品名 | ディスコ・オール・ベストヒット |
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発売日 | 2023年05月24日 |
商品コード | DYCP-4090/1 |
JANコード | 4547366611649 |
定価(税込) | 2,860円 |
収録時間 | DISC-1:70分23秒 DISC-2:68分52秒 |
EW&F、スリー・ディグリーズ、ホイットニー・W、ワム!、レイ・パーカーJr.、JB、オージェィズ、ジンギスカン、ボニーM・・・錚々たるビッグアーティスト勢揃い
数々のアーティストによる
音楽にあわせて誰もが好き勝手に踊る場所~ディスコティック。いわゆるディスコが全米、日本などで流行となりだしたのは、1973年頃から。アメリカのビルボード誌が1974年10月に「ディスコ・チャート」を発表し始め、音楽業界でディスコが音楽ジャンルのひとつとして確固たる地位を築くようになった。
日本でも1973年あたりから東京六本木、赤坂、青山、新宿などに多数のディスコが出現。1978年7月映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本でも公開されると、一気にディスコは一般化、大ブームとなった。
ここに収録されているヒット曲の数々はそうした日本のディスコなどで大ヒットした作品ばかりを集めたディスコ・ヒットの集大成的アルバムだ。当時のディスコに思いを馳せながら、あるいは、ひょっとして当時はそれほどディスコには通わなかったが、こうしたヒットをラジオなどで聴いていたという人にも親しみやすい選曲になっているので、十分お楽しみいただけると思う。
(凡例)
下記解説の中で使われる言葉について、簡単に。ポップは、全米の音楽業界誌ビルボードのホット100などのポップ・チャート、ソウルあるいはブラックは、同ソウル・チャート、ブラック・チャート、ディスコはディスコ・チャート、ダンス・チャートなどを示す。全英はイギリスの音楽紙ニューミュージカル・エクスプレス、メロディ・メイカーなどのポップ・チャートを示す。
歌詞カード・楽曲解説付
収録内容
イギリスのジョージ・マイケル(1963年6月 25日~2016年12月25日、53歳)とアンドリュー・リッジリー(1963年1月26日~)による2人組、ワム!の実質的な4枚目のシングル。1981年リッジリーのリヴィングルームで書かれ、1983年7月にこれを含むデビュー・アルバム『ファンタスティック』とほぼ同時に全英発売された。全英チャートで最高位4位を記録。その後の世界的なワム! 快進撃の突破口となった。
【解説】吉岡正晴
Club Tropicana / Wham! (George Michael, Andrew Ridgeley)
1957年3月11日ロスアンジェルス生まれ。本名をリンダ・シェリル・スミスといい、芸名はミドルネームとファーストネームをひっくり返し「シェリル・リン」にした。教会でゴスペルを歌っていたが、テレビのオーディション番組『ゴング・ショー』で優勝し、レコード・デビュー。そのデビュー作がこれ。1978年8月全米で発売されるや、そのリズムとポップ性で大ヒットに。ソウル・チャート1位、ディスコ11位、ポップ12位。このリズムは後に多大な影響を与えた。
【解説】吉岡正晴
Got to Be Real / Cheryl Lynn (Cheryl Lynn, David Paich, David Foster)
1970年にシカゴのローカルTVで放映が始まったソウルのレコードにあわせて一般視聴者が踊るという『ソウル・トレイン』の1973年から使われた実質2代目のテーマ曲。番組司会者のドン・コーネリアスがフィラデルフィアのプロデューサー、ギャンブル&ハフに依頼してできた。同地のスタジオ・ミュージシャンMFSBとヴォーカル・グループ、スリー・ディグリーズがフィーチャーされ1974年2月発売。全米ポップ、ソウル両部門で1位。
【解説】吉岡正晴
T.S.O.P. (The Sound of Philadelphia) / MFSB featuring The Three Degrees (K.Gamble, L.Huff)
オハイオ州デイトン出身のジョニー・ワイルダー (1949年7月3日~2006年5月17日、56歳)がアメリカ陸軍の軍人として西ドイツ(当時)に駐屯していた時代の1975年同地のメンバーを集めて結成した多国籍バンド。イギリス人ロッドテンパートンなどを加え、イギリスのレコード会社から1976年デビュー。1977年全英、全米で発売された本作が両国で2位、全米ソウル・チャートで5位を記録する大ヒットになり、以後ヒットが続出した。
【解説】吉岡正晴
Boogie Nights / Heatwave (Rod Temperton)
1963年頃アメリカ・ペンシルヴェニア州フィラデルフィアで結成された女性ヴォーカル・グループ。メンバーは多数変遷しているが、1970年代前後のピーク時メンバーは、フェイエット・ピンクニー、ヴァレリー・ホリデイ、シーラ・ファーガソン。1973年、ギャンブル&ハフのフィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ (略称PIR) に移籍し、第1弾シングルとして発売。全米ソウル・チャートで58位だったが、日本、ベルギーなどで大ヒット。
【解説】吉岡正晴
Dirty Ol' Man / The Three Degrees (K.Gamble, L.Huff)
1974年西ドイツの音楽プロデューサー、フランク・ファリアンが作ったディスコ・グループ。当初ファリアンが声もやっていた匿名グループだったが、彼がオーストラリアの刑事ものテレビドラマ『ボニー』からグループ名を思い付いた。レコードがヒットしたため、モデルやシンガー、ダンサーを集め実態のあるグループを結成。本曲は1978年8月全欧で発売され、ドイツなどで1位、全英2位、全米ディスコ10位など世界的な大ヒットになった。
【解説】吉岡正晴
Rasputin / Boney M. (Frank Farian, Fred Jay, George Reyam)
オハイオ州カントンで1958年に結成されたR&Bヴォーカル・グループ。1960年代から各地のインディ・レーベルからシングル盤を多数出したが、1971年フィラデルフィアのPIRと契約。一気に人気が爆発した。同レーベルからの3作目のシングルとして1972年12月発売。その普遍的なメッセージを持つ曲として大ヒット。全米ポップソウルで1位を獲得。100万枚を売るゴールド・ディスクに。
【解説】吉岡正晴
Love Train / The O'Jays (K.Gamble, L.Huff)
ボズは1944年6月8日オハイオ州カントン生まれ。スティーヴ・ミラーのバンドに加入し、ブルーズなどのカヴァーで経験を積み、その後ソロに。1976年2月全米発売アルバム『シルク・ディグリーズ』から第2弾シングルとして1976年6月にカットされソウル・チャートで5位、ポップで3位記録、ディスコでも12位。このリズムゆえに、当時のソウル・ステーションでもひんぱんにかかり、ソウル、さらにディスコ・チャート入りした。
【解説】吉岡正晴
Lowdown / Boz Scaggs (Boz Scaggs, David Paich)
ニューヨーク生まれ [1951年4月20日~2005年7月1日、54歳]のシンガーソングライター。デイヴィッド・ボウイのバック・コーラスや、CM曲を多数録音。グループ「ルーサー」を率いてアルバム2枚を出した後、ソロ・シンガーとして1981年再デビュー。本作はそのソロ第1弾のタイトル曲。盟友マーカス・ミラーとの共同制作。ソウルで1位、ダンスで4位、ポップで33位。ゴールド・ディスク。後年多数サンプリングされた。
【解説】吉岡正晴
Never Too Much / Luther Vandross (Luther Vandross)
1970年代初期にフィラデルフィアで結成された4人組R&Bヴォーカル・グループ。プロデューサー、ジョン・デイヴィスがプロデュースした本作が地元のインディ、ドン・ディー・レコーズから出て、評判がよかったため、メジャーのコロンビアが発売権を獲得、1975年1月全国発売した。ソウルで81位、ディスコで4位を記録。当時はアルバムはなかったが、その後シングルなどを集めてアルバムが編成された。
【解説】吉岡正晴
Just Can't Say Goodbye / Philly Devotions (John Davis)
コネチカット出身のロペス・シスターズが前身でその後1977年頃メンバー3人体制にしグループ名をオデッセイと変え、RCAと契約。1977年「ネイティヴ・ニューヨーカー」の大ヒットが誕生。1981年発売の4作目『アイ・ガット・ザ・メロディ』からの最初のシングルとなったのが本作。ラモ ント・ドジャー作品のカヴァーでソウルで68位、ディスコで55位を記録。全英で4位を記録。洗練されたディスコ作品としてヒットした。
【解説】吉岡正晴
Going Back to My Roots / Odyssey (Lamont Dozier)
1969年シカゴでモーリス・ホワイトによって結成されたソルティ・ペパーズが前身。その後グループ名をアース・ウインド&ファイアーと変え、ワーナーと契約、その後コロンビアへ移籍。70年代に多数のヒットを記録し、名実ともに全米ナンバー1のブラック・グループになった。本作は「宇宙のファンタジー」「セプ テンバー」「ブギー・ワンダーランド」と並ぶ彼らの4大ヒットのひとつ。1981年9月発売、ソウル1位、ディスコ3位、ポップ3位、ゴールド・ディスク獲得。
【解説】吉岡正晴
Let's Groove / Earth, Wind & Fire (M.White, W.Vaughn)
オハイオ州シンシナティ出身のアイズレー兄弟(オケーリー、ルドルフ、ロナルド)らが1954年頃に結成した。元々はR&B ヴォーカル・グループ。1957年ニューヨーク地区に移住。1959年自作曲「シャウト」がソウル、ポップで大ヒット。その後、イギリスのビートルズなどがカヴァーし、アイズレーの存在も知られるように。1973年自身で設立したTネックがCBSの配給になりヒットが続出。CBSからの第一弾LP『33』の最初のシングルが本作。ソウルで2位、ポップで6位。大躍進のきっかけに。
【解説】吉岡正晴
That Lady, Pts. 1 & 2 / The Isley Brothers (R.Isley, O.Isley, E.Isley, M.Isley, C.Jasper)
1954年5月1日デトロイト生まれ。同地でギタリストとして活躍、スティーヴィー・ワンダーのバンドに抜擢され、その後、アリスタ・レコーズとアーティストとして契約。自身のグループ、レイディオを結成。本作はレイディオとして1980年3月発売の3作目のLPトップに収録。同作からの3枚目のシングル「キャント・キープ・フロム・クライン」のB面に収められたが、LPカットでヒット。全米ディスコで61位。
【解説】吉岡正晴
It's Time to Party Now / Ray Parker Jr. & Raydio (Ray Parker Jr.)
オハイオ州ミンゴ・ジャンクション出身のロブ・パリッシ [1950年12月29日生まれ] によって同州ステューベンヴィルで1970年に結成された白人のファンク、ロック・バンド。グループ名は同名の咳止めドロップの商品から取った。1976年4月発売の本曲がファンキーで重いベースと踊りやすいサウンドでディスコを中心に大ヒット。ソウル、ポップで1位、ディスコで12位を記録。プラチナム・ディスクに輝いた。
【解説】吉岡正晴
Play That Funky Music / Wild Cherry (R. Parissi)
本名レスリー・セバスチャン・チャールズ (MBE)、1950年1月21日トリニダッド&トバゴ生まれ。10歳でイギリスに移住。ロンドンのクラブなどで歌い始め、1976年英GTOレコーズと契約。1981年「ナイツ」がヒット。1984年移籍していたジャイヴ・レコーズから出した本作が1984年6月からヒット。ソウル、ディスコ、ポップで1位という三冠王に輝いた。芸名は、海の国出身で、オーシャン、ビリーは親しみやすい名前が選ばれた。
【解説】吉岡正晴
Caribbean Queen (No More Love on the Run) / Billy Ocean (Billy Ocean, K.Diamond)
「キング・オブ・ソウル」「ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」などの愛称で知られるジェームス・ブラウン (1933年5月3日~ 2006年12月25日、73歳) の1985年12月発売のシングル。映画『ロッキーIV』のテーマ曲となり、大ヒット。ブラックで10位、ダンス・プレイで1位、ダンス・セールスで3位、ポップで4位を記録。ダン・ハートマン・プロデュース作で、ミスター・ブラウンのポップな一面が出た。
【解説】吉岡正晴
Living in America/James Brown (Charlie Midnight, Dan Hartman)
サンフランシスコでディスコ・プロデューサー/アーティスト、シルヴェスターによって1976年に結成されたマーサ・ウォッシュとアイゾラ・アームステッドによる大柄の女性デュオ。当初はトゥー・トンズ・オー・ファンというグループ名だったが、1979年、ウェザー・ガールズに改名。本作を1982年9月発売。いわゆる当時のディスコの流れのひとつ「ハイ・エナジー」の1曲として、1982年10月からヒットし、ディスコで1位。ソウルで34位、ポップで46位。
【解説】吉岡正晴
It's Raining Men / The Weather Girls (Paul Jabara, Paul Shaffer)
ディスク1 ⑫などと並ぶアースの4大ヒットの1曲。1978年11月に全米発売されたアースのベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブ~』に収録された2曲の新録による新曲のうちの1曲。ソウルで1位、ポップで8位を獲得。日本では「宇宙のファンタジー」に続いて大ヒット、日本のディスコ・チャート (ディスコ協会発表) で1位。全英3位。日本でのアース人気を決定づけた。リーダー、モーリスは「バーディヤ」部分を音感でグルーヴを保つため歌詞をつけなかった。
【解説】吉岡正晴
September/Earth, Wind & Fire (M.White, A.McKay, A.Willis)
西ドイツ (当時)のミュンヘンで作詞家ベルント・マイヌンガー、作曲家ラルフ・シーゲルによって1979年初頭結成されたディスコ・グループ。彼らが一足先にミュンヘンからヒットを出していたディスコ・グループ、ボニーMのような成功を目指して作った。同地で活躍するシンガーなどを集めてグループに。本曲は1979年3月開催の「ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト」で4位に入賞。1位曲よりも爆発的に売れた。
【解説】吉岡正晴
Dschinghis Khan / Dschinghis Khan (Ralph Siegel, Bernd Meinunger)
1960年代にシカゴのハッチンソン姉妹によって結成されたゴスペル・グループ、ハッチンソン・サンビームスが前身。エモーションズと名乗るようになり1968年、メンフィスのスタックス・レ コーズと契約。小ヒットを出した後、1976年アースで大当たりしたモーリス・ホワイト(同じくシカゴ出身)が新しく設立したプロダクション(CBS傘下)と契約。77年発売のCBSからの2作目『リジョイス』からのシングルで77年6月発売。ソウル、ポップで1位、ディスコでも11位。
【解説】吉岡正晴
Best of My Love / The Emotions (A.McKay, M.White)
1968年ニューヨークで結成されたサブー&ザ・サヴァイヴァーズが前身。その後、リズム・メイカーズとなり、1978年、G.Q.にグループ名を変え、1979年G.Q.としての初作品『ディスコ・ナイツ』を発売。同作からのリード・シングルが同年2月発売の本作。一般発売の8分余の12インチ盤も出た。ソウルで1位、ディスコで3位、ポップで12位を記録。リーダーのサブーことキース・クライアーは2013年9月29日58歳で死去。
【解説】吉岡正晴
Disco Nights (Rock Freak) / G.Q.(Emmanuel Rahiem Leblanc, Herb Lane, Keith "Sabu" Crier, Paul Service)
ホイットニー[1963年8月9日~2012年2月11日、48歳]は、元々ゴスペルを歌っていたシシー・ヒューストンの娘として大注目の中、1985年2月満を持して『そよ風の贈りもの』でデビュー。ここからシングルが次々大ヒット。同作からの全米での4枚目のシングルとして1985年11月に発売され、ブラック、ポップともに1位、ディスコで3位。ナラダ・マイケル・ウォルデンがプロデュースした。軽快なポップ・ダンス・ディスコ曲。
【解説】吉岡正晴
How Will I Know / Whitney Houston (George Merrill, Shannon Rubicam, Narada Michael Walden)
1959年、当時15歳だったパトリシア・ホルトが同郷の女子とともに結成したグループが前身。ブルーベルズ、パティ・ラベル&ザ・ブルーベルズなどとグループ名を変更し、1971年、ラベルに。1974年11月発売、ニューオーリン ズのアラン・トゥーサンがプロデュースした本作がヒット。ソウル、ポップで1位、ディスコで7位。全米ではゴールド・ディスクに。その後、多くのカヴァー、サンプリングなどで使われた。
【解説】吉岡正晴
Lady Marmalade (Voulez-Vous Coucher Avec Moi Ce Soir) / Labelle (Bob Crewe, Kenny Nolan)
サウスキャロライナ出身のジーン・マクファデンとフィラデルフィア出身のジョン・ホワイトヘッドによるソウル・デュオ。元々オーティス・レディングに見いだされその前座エプシロンズとして活躍、スタックスからシングル盤も出していたが、フィラデルフィアに戻り、ギャンブル&ハフの元でこのデュオ名義で1979年3月本作で再デビュー。ソウルで1位、ポップで13位、ディスコで10位、プラチナム・ディスクに。ジョンが2004年5月11日、55歳で、ジーンが2006年1月27日、56歳で死去。
【解説】吉岡正晴
Ain't No Stoppin' Us Now / McFadden & Whitehead (G.McFadden, J.Whitehead, J.Cohen)
1960年7月1日ニューヨーク生まれ、フィラデルフィア育ち。ギャンブル&ハフのオフィースで掃除の仕事をしていたが、よく鼻歌を歌っていて、それをプロデューサーのTライフに見いだされ、1977年「シェイム」でデビュー。これがヒットし、コンスタントに活躍。1982年発売の5枚目のアルバム『ゲット・ルース』からニューヨークの新進気鋭のプロデューサー、カシーフがプロデュースした本作が大ヒット。ソウル、ディスコで1位、ポップでも17位を記録。
【解説】吉岡正晴
Love Come Down/Evelyn "Champagne" King (Kashif)
カリフォルニア州オークランドで1969年に結成された姉妹グループ。上からルース、アニタ、ボニー、ジューン・ポインター。1973年、「イエス・ウィ・キャン・キャン」がヒット。以後コンスタントにヒットを生み、1982年9月発売の本作は、ソウルで46位、ポップで30位、ディスコで28位を記録。残念なことに4姉妹は下から3人が順に逝去してしまい、長女のルースだけが残り、娘などが参加しグループを続けている。
【解説】吉岡正晴
I'm So Excited / The Pointer Sisters (Anita Pointer, June Pointer, Ruth Pointer, Trevor Lawrence)
ダリル・ホール [1946年10月11日ペンシルヴェニア州生まれ] とジョン・オーツ [1948年4月7日ニューヨーク生まれ] がフィラデルフィアのテンプル大学で知り合い1970年に結成したポップ・デュオ。70年代からヒットを出しているが、本曲は1981年8月発売ポップで1位。日本のディスコでも手拍子のキャッチーさもあり、大ヒット。彼らはほかに「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」、「マンイーター」などもソウルでヒットしている。
【解説】吉岡正晴
Private Eyes / Daryl Hall & John Oates (Daryl Hall, Janna Allen, Sara Allen, Warren Pash)
1954年5月31日ニューヨーク生まれ、フィラデルフィア育ち、その後またニューヨークに。十代からミュージカルなどに出演。RCAのディレクターにクラブで歌っているところを見出され、同社と契約。1976年2月に発売された本作がソウルで73位、ディスコで1位、ポップで10位を記録。その後ディスコ・ヒットをいくつか出すが、2000年4月27日、癌のため45歳という若さで死去。父がアフリカ系アメリカ人、母が白人。
【解説】吉岡正晴
Turn the Beat Around / Vicki Sue Robinson (Gerald Jackson, Pete Jackson)
1950年12月8日ペンシルヴェニア州ハリスバーグ生まれ。1972年から76年までエドガー・ウィンター・グループの一員。その後ソロになり、アーティスト、プロデューサーに。1978年に「インスタントリプレイ」がディスコで大ヒットしたことを受け、1979年10月発売の本作が、ディスコで6週間1位を記録する大ヒットに。12インチも制作された。だが、1994年3月22日、43歳の若さで脳腫瘍のため死去。
【解説】吉岡正晴
Relight My Fire / Dan Hartman (D.Hartman)
1969年カリフォルニア州サンタモニカで結成されたポップ・ソウルのトリオ。1974年3月に出た本作が当時はまだそれほど注目されていなかったニューヨークのディスコでかかりシングル盤が売れるようになり、ディスコがヒットを生み出す場所として認知されるようになった1曲。ソウルで2位、ポップで1位。ゴールド・ディスクに。その後も「ロッキン・ソウル」、「ラヴ・コーポレーション」などのヒットが続いた。
【解説】吉岡正晴
Rock the Boat / The Hues Corporation (Wally Holmes, Perry Botkin, Jr.)
1954年3月10日イギリス・ロンドン生まれ。ロンドンでセッション・シンガーとして活動後、同地のグループ5000ヴォルツの「アイム・オン・ファイアー」でリードを歌い注目されソロ契約。いくつかシングルを出したのちの1976年本作が全英で6位を記録。一時期、ロンドンで活躍するディスコ・プロデューサー、ビドゥーのプロデュースでヒットを出し、日本では「Oh! クッキー・フェイス」などのCM曲も歌うほど人気だった。
【解説】吉岡正晴
Dance Little Lady Dance / Tina Charles (Biddu, G.Shury, R.Roker)
1946年1月12日カリフォルニア州サンラファエル生まれ。主にキーボード、ピアノ奏者。ジャズのジャン=リュック・ポンティ、キャノン・ボール・アダレー、ロックのフランク・ザッパのバンドなどを経て、自身のバンドを結成。本作は、ポップでダンサブルな方向性で制作し、1982年1月発売。ディスコで36位、ソウルで15位、ポップで41位。日本のディスコでは、ジョージ作品としては最大のヒットになった。2013年8月5日、67歳で死去。
【解説】吉岡正晴
Shine on / George Duke (George Duke)
1951年6月3日インディアナ州ゲイリー生まれ。スティーヴィー・ワンダーのバック・コーラスから注目されるようになり、1976年、アースのモーリス・ホワイトに認められ彼のプロダクション(CBS傘下)からアルバム『ディス・イズ・ニーシー』でデビュー。本曲は1984年4月発売の彼女の8枚目の同名アルバムのタイトル曲。映画『フットルース』収録曲でもあり、シングルは同年2月発売。ソウル、ディスコ、ポップで1位。3冠王となった。
【解説】吉岡正晴
Let's Hear It for the Boy / Deniece Williams (Thomas Snow, Dean Pitchford)
フィリップ・ベイリーは、アース・ウインド&ファイアーのリード・シンガーの一人、ファルセットを担う。一方、フィル・コリンズはイギリスのロック・グループ、ジェネシスのヴォーカル兼ドラマー。どちらも1951年生まれで、この時期グループ活動と並行してソロ活動を始めていた。1984年発売のフィリップのソロ作『チャイニーズ・ウォール』に収録。同年11月シングル・カット。ブラックで3位、ディスコで7位 、ポップで2位を記録。
【解説】吉岡正晴
Easy Lover/Philip Bailey & Phil Collins (P.Bailey, P.Collins, Nathan East)
テレビ『ゴング・ショー』での優勝を機にシンガーとして華々しい活躍を始めたシェリルの3作目のアルバム『イン・ザ・ナイト』(1981年6月発売)のタイトル曲。アルバム全体をレイ・パーカーがプロデュース。同作から「シェイク・イット・アップ・トゥナイト」に続いてシングル・カットされ、ソウルで79位、ポップで70位を記録。日本では、「シェイク~」同様、ディスコでこの曲が人気となった。
【解説】吉岡正晴
In the Night / Cheryl Lynn (Ray Parker Jr.)
音楽ジャーナリスト、DJ。 ソウル・ミュージックの情報を発信しているウェッブ「ソウル・サーチン』、 同名イヴェント運営。1973年から六本木のソウル・ディスコ「エンバシー」などでフリーランスのDJとして活動。ディスコ、ブラック・ミュージック全般に詳しい。1975年以降執筆したライナーノーツは1300枚以上。ラジオ・テレビ番組出演、構成選曲、雑誌・新聞などに寄稿。翻訳本に『レイ・チャールズ 物語』『マーヴィン・ゲイ物語引き裂かれたソウル』 (デイヴィッド・リッツ著)、『マイケル・ジャクソン全記録』など。自著『ソウル・サーチン R&Bの心を求めて』など。毎週木曜日20時からJFN各局で生放送されている『AOR・ソウル・トゥ・ソウル』出演中。最新情報は、ツイッター、https://twitter.com/ soulsearcher216 あるいは @soulsearcher216で発信中。