国内アーティスト木村好夫/ギター演歌ベスト40~さざんかの宿~
木村好夫/ギター演歌ベスト40~さざんかの宿~
商品名 木村好夫/ギター演歌ベスト40~さざんかの宿~
発売日 2022年11月16日
商品コード BRCA-00137
JANコード 4524135035127
定価(税込) 1,980円
収録時間 DISC-1:67分59秒
DISC-2:63分54秒

哀愁のメロディが深く心に沁みる。ギターの巨星、木村好夫がオーケストラなどをバックに奏でる珠玉の名曲集。


木村好夫 プロフィール

1934年東京都出身。
ジャズ・ギタリストとして活躍し、華麗な演奏から「黄金の指を持つ男」の異名を取るが、後に歌謡曲の世界に転向。ザ・ビアーズを率いたバンド編成やオーケストラをバックに演歌・歌謡曲のメロディーをつま弾き、アントニオ古賀、クロード・チアリ等と並ぶ日本の歌ごころを表現するギタリストとして親しまれた。作曲家としては、大ヒットを記録した「おまえとふたり」、「倖せさがして」が五木ひろしの代表曲として広く知られている。 1996年に没して四半世紀を経てなお、その叙情的な演奏は昭和世代の心に響き続けている。


楽曲解説付


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JASRAC許諾第S2011253706

楽曲解説


    DISC-1
  1. みちのくひとり旅

    1980年発売の山本譲二のヒット曲。北島三郎から作曲者の三島大輔を紹介された山本譲二はこの曲を一聴して「歌わせて下さい」と土下座して頼み込んだと言います。元々のタイトルは「最後の女」でしたが、山本本人の提案により、このタイトルに決まりました。

  2. 哀しみ本線日本海

    1981年の森昌子の37枚目のシングルです。勿論、哀しみ本線と言う鉄道はありません。しかしかつて日本海という大阪と青森を結ぶ寝台の特別急行電車がありました。残念ながら老朽化と利用客の減少から2012年に定期運行は終了となっています。

  3. さざんかの宿

    1982年発売の大川栄策の曲。何と今までに180万枚を売り上げる大ヒットとなりました。想う人が人妻であるという男目線の曲です。歌詞中にある「冬に咲く赤い花 =さざんか」とは、世間からは厳しくも真っ赤に燃え上がる不倫を意味しています。

  4. 北の蛍

    1984年発売の森進一の62枚目のシングル。同年に公開された、仲代達矢主演、五社英雄監督による同名映画「北の螢」の主題歌です。明治初期の北海道刑務所を舞台にした映画で、ナレーションの出演だけですが女優の夏目雅子さんの遺作ともなりました。

  5. 越冬つばめ

    1983年の森昌子の代表作。作曲者の篠原義彦とは『夢想花』で有名な円広志の本名です。レコード会社のディレクターが社内プレゼンの際に"とんで"の奴だと先入観を持たれないように作曲者名を本名にしたのが、そのままで発表されてしまったのです。

  6. おもいで酒

    1979年に発売された小林幸子のこの曲は元々は持ち込みによるB面曲でした。録音は本人が風邪気味の中で行いましたが、後で聴くと流石に酷いと再録音したそうです。作曲者の梅谷忠洋はクラシックのフルート奏者で、異色の演歌作曲家として話題になりました。

  7. 夢は夜ひらく

    作曲者は曽根幸明となっていますが、元々は練馬鑑別所 で口伝で伝えられていた歌を彼が採譜補作したものです。1966年の園まりを始めとして沢山の歌手が歌い、歌詞も様々ですが、中でも有名なのは藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』でしょう。

  8. 女の意地

    元々は西田佐知子が1965年に「赤坂の夜は更けて/ 女の意地」の両A面でリリースした曲です。どちらも大ヒットしましたが、特に『女の意地』は1970年に再録音して単独A面で再発売。40万枚の大ヒットで二度目の紅白出場となりました。

  9. ラブユー東京

    1966年の黒沢明とロス・プリモスのシングルです。元々はカップリングの『涙とともに」がA面でしたが、翌年にAB面を逆にして再発売すると人気が爆発。100万枚のヒットとなりました。因みにオリコン史上最初に1位になった曲です(オリコンは1968年開始)。

  10. 夜の銀狐

    1969年発売の斉条史朗の曲です。「銀狐」とは、ナイトクラブやキャバレーなどの高級飲食店のホステスのことを意味しています。シルバーフォックスの毛皮を着るホステスが多いことから、そう称されました。タンゴにも同じ「銀狐」という名曲があります。

  11. ブランデーグラス

    1977年の発売当初はそれほどでもありませんでしたが、TV朝日系ドラマ『西部警察 PART1』第48話「別離のブランデーグラス」の劇中で木暮謙三警視役の石原裕次郎本人が同曲を歌うシーンが放送されたのを切っ掛けに人気が爆発しました。

  12. おまえとふたり

    1979年発売の五木ひろし最大のヒット曲です。今までに120万枚以上売り上げています。作曲者はこのCDの主役の木村好夫。この曲でギターを弾いているのも木村好夫自身です。五木ひろしと木村好夫の深い絆を感じさせる名曲です。

  13. 君は心の妻だから

    1969年に鶴岡雅義と東京ロマンチカが発売したヒット曲です。今であればコンプライアンス的に到底許されない歌詞です。不倫の相手に「心の妻」とは、結婚するする詐欺も良いところです。でもそれが昭和歌謡の世界なのかも知れません

  14. 影を慕いて

    1932年に発売された昭和歌謡の歴史的な名曲です。元々は古賀政男が作曲した明治大学マンドリン部の演奏曲でした。当時、藝大生の藤山一郎は録音歌手のバイトがばれて退学寸前だったにも関わらず嘘をついて録音。空前の大ヒットとなりました。

  15. 花と蝶

    1968年発売の森進一の9枚目のシングルです。この曲で森進一はデビュー3年目にして初の紅白出場を果たしました。そしてその後、2015年まで紅白に48回連続出場しました。これは連続出場としては最多の記録となっています。

  16. みちづれ

    元々は1975年に発売された渡哲也の曲でしたが、この曲を是非歌いたいと思った牧村美枝子は渡哲也に直談判し、1978年にシングルとして発売することとなりました。それ以降、渡はこの曲は牧村の曲だとして自分が歌う事を封印したのです。

  17. 雨の慕情

    前年の「舟唄」は大ヒットにも関わらず、歴史的な大混戦からレコード大賞を取ることが出来ませんでした。雪辱に燃える八代亜紀と作詞作曲の阿久悠・浜圭介チームは翌年の1980年、この曲でレコード大賞を見事受賞しました。

  18. すきま風

    1976年発売の杉良太郎のヒットシングルです。杉本人が主演するテレビ朝日系時代劇「遠山の金さん 」のエンディングに使われたこともあり、オリコン100位以内に150週近くもランクインする記録的な超ロングヒットとなりました。

  19. 東京砂漠

    1976年の内山田洋とクール・ファイブのヒット曲。日本唯一の砂漠をご存知ですか。千葉県御宿の月の砂漠のことではありません。鳥取砂丘は砂丘で砂漠ではありません。なんと東京にあるのです。それが国土地理院が唯一、砂漠と表記した伊豆大島の裏砂漠です。

  20. 舟唄

    阿久悠がレコード大賞狙いで作詞、目論見通り大ヒットとなりましたが、1979年のレコード大賞は空前の大混戦。「魅せられて」に「YMCA」の代理曲の『勇気があれば』『おもいで酒』『関白宣言』・・・。涙を飲んだ八代亜紀は翌年、「雨の慕情」で雪辱を果たします。

JASRAC許諾第S2011253706

    DISC-2
  1. 雪國

    1986年発売の吉幾三が正統派演歌への転向に成功した曲。恩人であり盟友の千昌夫は転向に猛反対したと言います。といっても元々は那須のホテルでベロベロに酔っぱらって即興で作った下ネタソングが原曲であり、コミックソングの血はしっかり流れているのです。

  2. 北の宿から

    1975年、都はるみは演歌の枠から飛び出したがっていました。その為に恩師の市川昭介と決別し、阿久悠と小林亜星を作詞曲に起用。編曲もフォークの「神田川」をイメージして欲しいと頼み、歌入れでは“こぶし”を封印。こうして新しい都はるみが誕生しました。

  3. 細雪

    谷崎潤一郎による同名小説にヒントを得た五木ひろしの歌です。1983年の9月1日に発売しましたが、その4日後にB面を差し替えて改めて再発売するという珍事がありました。差し替えの理由は不明です。尚、同年公開の同名映画とは何の関連もありません。

  4. 津軽海峡・冬景色

    同期の花の中三トリオの影に隠れて芽が出なかった石川さゆりは1977年、この曲でブレイクすると同時に本格派演歌歌手として花開きました。青函連絡船は青函トンネルの完成で終航。今は青森駅から遠いターミナルに青函 フェリーが発着するのみとなっています。

  5. 長崎は今日も雨だった

    内山田洋とクール・ファイブは長崎のキャバレー専属バンド。ライバルの中井昭・高橋勝とコロラティーノは先に『思案橋ブルース』でデビューしていました。そこで前川清をボーカルに据え『長崎は今日も雨だった』で1969年にデビュー。大ヒットを果たしました。

  6. おんな港町

    1977年発表の八代亜紀の曲。『なみだ恋』以来、八代亜紀の歌はトラック運転手に絶大な人気がありましたが、この『おんな港町』は特に人気が高かったことから、遂には同年の東映映画『トラック野郎・度胸一番星』に女ダンプ運転手として出演するに至りました。

  7. 夜霧よ今夜も有難う

    この曲は1967年の日活映画『夜霧よ今夜も有難う』の主題歌ですが、元々は浜口庫之助の曲が先行しており、この曲を下敷きに映画『カサブランカ』を日本版に脚色したのが同映画です。映画公開と同時にこの曲も大ヒットし、石原裕次郎の代表曲となりました。

  8. ウナ・セラ・ディ東京

    1964年発売。元々はザ・ピーナッツの「東京たそがれ」という曲でしたが、来日したカンツォーネの大人気歌手ミルバがこの曲を取り上げたことから人気が急上昇。そこでアレンジを変更して「ウナ・セラ・ディ東京」として再発売し大ヒットとなりました。

  9. 知りすぎたのね

    1968年、ロス・インディオスがデビュー曲『コモエスタ赤坂』に続いて大ヒットさせたのがこの曲です。元々は作詞家のなかにし礼がロミ山田のために作詞・作曲したヒット曲でしたが、翌年にロス・インディオスが取り上げ更に大きなヒットとなりました。

  10. 恍惚のブルース

    青江三奈は元銀座のクラブシンガー。作詞家の川内康範から彼の連載小説「恍惚」のヒロインの名前を貰い、小説のタイトルを冠にした『恍惚のブルース』で1966年にデビューしました。そのハスキーな声と挑発的な歌詞でいきなり80万枚の大ヒットとなりました。

  11. コモエスタ赤坂

    ムード歌謡とは、米兵相手に活動をしていたダンスバンドが、朝鮮戦争特需で急発展した赤坂や六本木でムードあるダンス音楽を演奏し始めたのが始まりとされています。その一つがロス・インディオスです。1968年にこの曲で大ヒットデビューを果たしました。

  12. つかれたわけじゃないわ

    ヒット曲 「ホテル」で有名な島津ゆたかの1970年のデビュー曲。島津ゆたかは1994年にも『いい男! いい女!』で70万枚のヒットを出しますが、その後にラジオで不適切発言を連発し降板させられて以来、消息不明となっています。

  13. 抱擁

    箱崎晋一朗のこの曲は元々は「熱海の夜」のB面として1969年に発表されました。1974年に再アレンジしてA面で再発売しましたが不発。ところがその内に有線で火が付き始め、1979年の再々発売でやっとブレイク。世に出てから10年掛かってのヒットでした。

  14. 思案橋ブルース

    1968年の中井昭・高橋勝とコロラティーノのヒット曲。橋としての思案橋は既にありません。思案橋は長崎市で丸山と並ぶ歓楽街で、この先にあった日本三大遊郭と言われた丸山遊郭に行くか行かないか思案したことから思案橋と言われるようになったと言います。

  15. 旅路のひとよ

    鶴岡雅義と東京ロマンチカによる『小樽の人よ』から5枚目のシングル。「小樽の人よシリーズ」とサブタイトルが付いています。大ヒット曲のシリーズにしてヒット再びと言うマーケティングが功を奏したのか、半年後に『君は 心の妻だから』が大ヒットします。

  16. 矢切の渡し

    伊藤左千夫の『野菊の墓』の舞台ともなった柴又一松戸を結ぶ矢切の渡し。元々はちあきなおみの「酒場川」のB面曲でしたが、梅沢富美男が舞台で使用したことから話題となり、1983年、多くの歌手の競作の中で最も売れたのが細川たかしでした。

  17. 命くれない

    初回注文1860枚が最終的には170万枚の大ヒットに。1987年の日本有線大賞では中森明菜の「難破船」と一騎打ちになり、1票差で瀬川が大賞受賞となりました。因みに「命くれない」とは、運命の赤い= 紅い糸と命を下さいという二つの意味を重ねています。

  18. 愛の終着駅

    1977年発売の八代亜紀22枚目のシングル。前年の「もう 一度逢いたい」に続いて2年連続でレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した曲です。この曲に触発されて松本留美主演の「愛の終着駅」がTBS系昼ドラ「花王 愛の劇場」枠で制作・放送されました。

  19. 氷雨

    ヒットまで紆余曲折があった曲です。元々は1977年の佳山明生のデビューシングルでしたが、1980年にシングルB面で再発売。1981年に再々度A面で発売し、1982年に再々々発売。するとその年の12月に日野美歌が同曲を競作で発売し共に大ヒットとなりました。

  20. うしろ姿

    1969年発売の矢吹健のシングル。2015年、家賃4万円のアパートで本人が孤独死しているのが発見されました。再びステージに出演することを夢見ていたのか、部屋のギターは手入れがされており、壁には自身がデビューした際の写真が貼られていました。

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