国内アーティスト | N.S.P/スーパー・ヒット・セレクション20 |
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商品名 | N.S.P/スーパー・ヒット・セレクション20 |
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発売日 | 2023/4/12 |
商品コード | BRCA-00139 |
JANコード | 4524135111050 |
定価(税込) | 2,530円 |
収録時間 | 74分36秒 |
50年の時を超えて、今なお心に響く、その永遠の名曲集。「さようなら」「夕暮れ時はさびしそう」など全20曲。
※N.S.P平賀氏書下ろしの全楽曲解説と「デビュー50周年によせて」のコメント入り。
収録内容
桜前線北上に合わせて 九州、特に南九州地区から火の点いたシングル。
この前年に天野くんは初のソロアルバム『あまのしげる』をリリースします。その自信の表れか? N.S.Pに還元したかったアイデアだったのか? 僕と中村くんを驚かせます。
それが歌はじまりの4分の3拍子です。意外性とインパクト十分でした。アレンジャーに起用した船山基紀さんによるイントロのチェンバロも桜の花びらが青空、夜空を自由奔放に舞う光景が目に浮かぶようで効果抜群でした。
サビの追っかけコーラスもN.S.Pらしさ満載です。歌詞は青い時代の別れをテーマに、それでもこれから訪れる新たな人生のはじまりと季節を前向きに生きようよと背中を押すような人生の応援歌になっているところが魅力の一曲です。
天野くんも大好きだった直木賞作家でもある重松清さんと対談する機会に恵まれ、その時に山陽地方で生まれ育った重松さん、3月なのになんで風が冷たいんだと思ったそうです。大学の関係で上京して親しくなった弘前出身の友人とともにG.Wを利用して青森へ。
五月なのにとても寒かったようで、その時に天野くんのタイトルに納得したというエピソードを頂きました。天野くんに聞かせてあげたかった・・・。
【解説】N.S.P 平賀和人
コンサートツアー中心のハードスケジュールにも少し慣れてきたこの年の春、初の海外レコーディングも兼ねて2週間ほどアメリカ(ロス&シスコ) へ海外旅行。このレコーディングには、その後世界を一世風靡することとなるTOTOのメンバー、ジェフ・ポ ーカロ(Dr.)やデヴィット・ペイチ(Key.)らが参加しました。
そのレコーディングのインパクトたるや・・・刺激を受けた僕らも固定したサポートメンバーとツアーもレコーディングも常に一緒に出来るようなバンドを目指したいと強く思うようになりました。このシングルはそんな思いが実現した一曲です。
サポートメンバーはChar(E.G)、佐藤準(Key.)、古田たかし(Drs.)。
イントロ&エンディングのソロ・ギターがとても印象的です。
この時間帯が一番リラックスできて大好きだと言っていた天野くん。その言葉を反映するように、この曲はじめたくさんの作品を生んでくれました。余談ですが、N.S.Pのコンサートで僕らより人気の出てしまったサポートメンバーChar。この2年後、天野くんの作詞した「NAVY BLUE」でソロデビューします。
【解説】N.S.P 平賀和人
天野くんが学生時代から温めていた作品。
僕と中村くんの前で初めて弾き語りをした時に詞曲のユニークさに僕は何度も笑い転げてしまい天野くんを大きく傷つけてしまったというエピソードはファンの間でもあまりに有名な話。
そんなことではめげない天野くん。仕方なくプロの道を選んで上京した一発目のシングルとして改めてこの「夕暮れ時はさびしそう」を推します。
この頃の音楽シーンも味方してくれた気がします。前年の秋頃から井上陽水さんの「心もよう」や南こうせつとかぐや姫の「神田川」が大ヒット。そしてこの年の春過ぎにはグレープの「精霊流し」や山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」など、いわゆる叙情派フォーク系が認知され、世間で注目され始めていたからです。
その流れに僕らもこの曲も時代に歩調を合わせるように乗れたのだと思いますが、イントロでオカリナを使ったことやイラストジャケット含めすべてがプラスへと向かいました。
コンサートの動員も目に見えて増えたし黄色い声援も大きくなったしアイドル扱いされ始めたのもこの頃からでした。
僕はこのシングルが大ヒットしたことで天野くんの信頼を大きく失いました(笑)。
【解説】N.S.P 平賀和人
デビュー曲はデモテープ笑)1973年3月。高専最終年を迎える直前の春休みを利用してデビュー曲予定の「あせ」とそのカップリング曲「新青春」のレコーディングのため上京。
演奏慣れしていたせいか、レコーディングはあっという間に終了。
原盤ディレクターの萩原さんから最近作った曲とか他に何か自信作はありませんか?と打診され、天野くんが「さようなら」という曲が今地元で人気ですと3人でいつものように披露します。
これがその時の音源です。
あらためて聴き直すと、僕ら自身もまだこの曲に対して新鮮だったせいもあってか妙に一体感があって気持ちもこもっている、歌詞の間違いなど気にならない、そんなバージョンに仕上がっていますね。
本来ならばエンディングのほうで、天野くんがフォークギターからエレキギターに持ち替えて延々とソロを弾くというロックの要素も含んだ大作だったんですが…これで正解だったのかも知れませんね(笑)
【解説】N.S.P 平賀和人
デビュー曲予定だった「あせ」には何故かドラムが入っています。
原盤ディレクター、萩原さんの弟さんで克己(かつき)さん。この二人、実はマックスというバンドでヤマハのライトミュージックコンテストに出場し優勝経験もあるロックバンドで、僕と天野くんの神様にあたるよしだたくろうさんのバックバンドとして「青春の詩」のレコーディングにも参加していたつわものだったんです。そういう意味では僕らにとっても貴重な音源です。
このレコーディングが縁で、このあと5月20日に開催されたポプコン全国大会(当時は合歓の郷)でもサポートしてもらい入賞とニッポン放送賞をいただきました。
そして敢えてこの曲を2枚目のシングルにした理由を訊くと「よしだたくろうさんぽかったから」だと後年聞かされ僕らはショックを受けます…それでもよかったのにと。
その大変お世話になった萩原兄弟も今では雲の上の人…合掌。
【解説】N.S.P 平賀和人
「夕暮れ時はさびしそう」の大ヒットで周りの期待も大きくなっていったせいか、なかなか次のシングルが決まりませんでした。
当時はフォークグループもアイドル並みに3~4ヶ月ローテーションでシングル盤を発売していた気がします。
そんなプレッシャーの中、一念発起して絞り出したのがこの曲。デビュー曲となった「さようなら」もそうですが、たった3つのコードでここまで盛り上げることができる作曲能力と構成力には改めて脱帽ですね、すごいと思います。
「夕暮れ時はさびしそう」ではオカリナ、さて今作はどうする?喧々諤々、いろんなアイデアが出ましたが、結局ピアニカにすることに。
前作「夕暮れ時はさびしそう」のレコーディング後、ライブでは誰が吹くの?と言って吹かされる羽目になった中村くん、今作ではちゃんと自覚していました(笑)
【解説】N.S.P 平賀和人
天野くんが初めてセリフ入りのシングルを書き上げ、そのセリフにも挑戦したシングル。
詞のテーマも若い男女に受けそうだったし、何より曲調が歌謡ポップス系のワルツで、久々に大ヒットの匂いと予感がしました。
そしてまたまたイントロの楽器に悩みます(笑)
他のアーティストが使用していない楽器。
そしてこの曲に合う画期的な楽器は…。思案の末、浮上したのが草笛か指笛でした。
確かにフォーク&ロック系であまり聴いたことないなと早速レコーディング・コーディネイターに尋ねたところ、田村大三さんという指笛の達人がいらっしゃるということを知り、交渉の末やっと田村大三さんに指笛を吹いていただくことに成功しました。
手に汗握る天野くんのセリフ、そして寂寥感溢れる田村大三さんの指笛…とても刺激的なレコーディングに立ち会うことが出来ました。
大ヒットした「夕暮れ時はさびしそう」には届きませんでしたが、久々のヒットに胸を撫で下ろしたN.S.Pの3人なのでした。
【解説】N.S.P 平賀和人
この年から春・秋をコンサートツアー、夏と冬は制作期間休みとしたN.S.P。
休むこと自体に若干不安はありましたが「赤い糸の伝説」の制作過程とその結果ヒットしたという事実と納得ゆくまで作品を詰めることがヒットへの近道なんだと確信した3人にとって、このメリハリの利いた決断は間違っていなかったと思います。
この曲はそんな3人が初めて納得することの出来たアルバム『シャツのほころび涙のかけら』からのシングルカット曲。
天野くんはとてもこの曲の歌詞を気に入っていたようで、とても嬉しそうでした。確かに映画のワンシーンを切り取ったような世界にちょっと胸がキュンとしますね。萩田光雄さんのアレンジが絶妙ですが、僕と天野くんはこの曲に参加してくれたギタリスト、高中正義さんに興奮していたのでした。
なんたってアマチュア時代に崇拝していたスリーピースバンド『フライドエッグ』のあの高中さんでしたから!
イントロのハーモニクス、曲中のスライドギターが独特の浮遊感を醸してくれています。
【解説】N.S.P 平賀和人
この曲を口にすると多くの友人や音楽関係者の方々から「ああ…賽銭泥棒の歌ね」とからかわれたものでした(笑)
思わぬ反応に天野くんは子供の頃の話だと一生懸命に言い訳をしていましたが…。
確かに賽銭箱から弾かれて地面に落ちたお金なのですが…拾ったら交番に届けないとね。
そのせいだったか?ヒットとまでは行きませんでしたが、それでもこの曲は多くのファンに支持され愛されコンサートでもとっても反応の大きかった曲です。
過去未来よりも今のこの瞬間を大事にしよう、という天野くんには珍しい強めのメッセージが胸の内側に届いたのだと思います。不確かな未来。
まだまだ二人にはこの先にもいろんな困難が待ち受けていることを暗示しているようなこのタイトルは天野くんならではですね!
【解説】N.S.P 平賀和人
女性目線で書き上げた初めてのシングルで当時はそれだけでも話題になりました。
また、好きな人とは別の人へ嫁いでゆくというテーマが女性ファンに刺さったのは間違いなかったようです。巷でも結婚するなら一番好きな人とよりも二番目に好きな人とするのが丁度いいんだよ、なんていう結婚観まで飛び出していた時代です。
コンサートではこの曲を歌っている最中にハンカチを取り出して目頭を押さえる女性も多く見受けられました。
そんな女性と目が合うと天野くん、ダッシュでその場から逃げ出したかったと。今回が独身最後のコンサートですというような手紙をもらったとも聞きました。
たかが歌だけども、その影響力に天野くん自身も驚かされたようでした。
平賀は好きな女性と結婚できて良かったなと、しみじみ言われたことを思い出します。
【解説】N.S.P 平賀和人
レコードデビューして丸5年。レコード会社からベストアルバム企画が舞い込みます。
当時ベストアルバムというと売れていないから敢えて出すみたいなイメージが強かったのと、まだ5年でしょ!?N.S.Pとスタッフ側の間に感覚のズレが生じます。それでも過去10枚のアルバムをこの辺でベストという形でまとめてみませんか?と説得され渋々出すことに。
その先行シングルがこの曲でした。
冬に向けて数少ない女性目線の作品が続きます。冬の花火という視点が面白いですね。
当時流行していたディスコサウンドを取り入れてみましたが、歌とコーラスが入ると間違いのないN.S.Pの世界がそこに在ります。
【解説】N.S.P 平賀和人
好セールスを上げたベストアルバム『青春のかけら達』の翌年初のシングル。
天野くんの中では相当プレッシャーだったようです。そんな中、生まれたのがこの「面影橋」。それまでのN.S.Pにはなかった男女関係、不倫をテーマにした作品はスタッフ、ファンの間でも驚きとともに大いに話題となりました。
タイトルあるいは詞のテーマが先に頭の中でチラついていたから日本的でメロディアスな曲になったのか、先に出来上がった曲がメロディアスだったからこのタイトル&歌詞になったのか今となっては知る由もありませんが、生前彼は場所の設定はどこでもよかったと語っています。さらに面影橋(世間的には早稲田のほうの神田川に架かる橋)は彼にとって馴染みのない橋だったとも…箸にも棒にもかからない橋が何故タイトルに(笑)
あの頃の天野くんだったら「三軒茶屋」とか「渋谷」とか「下北沢」なんですがね。もちろん曲調も歌詞も大きく変化したとは思いますが。
話が逸れてしまいましたが、衝撃的なテーマのお陰で前年ヒットした「八十八夜」同様にスマッシュヒットとなりました。衝撃は続きます。この年の8月、天野くんが肺炎で入院したり3人でラジオ『電撃わいどウルトラ放送局』(当時のラジオ関東)にレギュラー出演したりと激動の一年を過ごすことに。
【解説】N.S.P 平賀和人
この年の夏、田園コロシアムでの野外コンサート(1980.8.2)を成功させ、その勢いのままニューアルバム(『天中平』)のレコーディングのため箱根ロックウェルスタジオにツアーメンバーと2週間ほど籠ります。
その先行シングルは恋する男女の何気ないワンシーン、映画の中のロマンチックなワンシーンを切り取ったような「夕陽を浴びて」の予定でしたが、ディレクターからダメ出しが…。合宿から戻って改めて書き上げたのがこの作品。
女性目線の歌詞は暗さだけが残るような印象がちょっとあって…そこは天野くんもものすごく気にしていました。
この時期の僕らにとってはいろんな意味で逆戻りしたくない場所に戻されたような、そんな気持ちを抱えながらのレコーディングでした。
往年のファンの皆さんにとっては安心して聴けるN.S.Pサウンドに乗せて天野節が炸裂しています。
アルバムに収録されなかった数少ないシングル。
【解説】N.S.P 平賀和人
N.S.Pの過渡期。
とにかく3人ともナニかを変えないと、と焦りを感じながら彷徨っていました。
ふたつの記憶が蘇ります。
「Rain」、最初は「ガラスの心」というタイトルでしたが、なんだかピンと来ず、僕が大反対しました。
中村くんに続き、あの天野くんまで当時流行っていたカーリーヘアに変身して突然現れた時には周りのスタッフも仰天!騒然となりました。アフロヘアみたいだったからです。
N.S.Pの象徴でもあった天野くんのストレートヘアが…それだけ彼自身も潜在的に変化を求めていたのでしょうね…昨日のままの自分は妙につまらない…。
ジャケット写真、なんだか僕だけが普通に爽やかな青年に見えるから不思議です。
デモテープの段階ではこじんまりした地味な曲というイメージでしたが、梅垣達志さんアレンジでドラマチックにして広がりのある曲に生まれ変わりました。
もちろんタイトルは2(平賀・中村)対1(天野)で「Rain」に。
この曲もアルバム未収録の貴重なシングル盤です。
【解説】N.S.P 平賀和人
タイアップにはほとんど縁のない僕らN.S.Pに映画『遠野物語』の主題歌の話が急に舞い込みます。
映画監督やそのスタッフの要望もあり詞先だったようです。
この曲がN.S.Pのシングルの中で特殊なのは僕がメインで歌っているという事でしょうか。この時期N.S.Pは休養期間だったので、歌&コーラス以外のベーシックを録り終えた天野くんは前々から予定していたサイパン旅行に、中村くんは国内旅行に出かけます。その間に先方からラフでいいので歌の入った音源が欲しいとのことで手の空いていた僕が仮で歌うことに。そのバージョンが結局そのまま本チャンになってしまいました。
リフレッシュして帰国した天野くんの日焼けした顔がさらに黒く暗く…唖然としていました。もちろんメインボーカルとしての自負もあったろうし歌う気満々だったからです。
天野くんが納得したのは映画関係者から天野くんの声だとイメージに合わないという理由を知らされたからのようでした。
僕の声のほうがこの物語には都合がよかった。
いずれにしろ先方の意向を汲んだのです。自分のボーカルで売れたらどうしようと余計な心配をしながらもコンサートでは馬鹿みたいに一生懸命歌いました。
【解説】N.S.P 平賀和人
アルバム『おいろなおし』の最後に収録されている中村くん初期の大作にして名作です。
中村くんといえば「コンクリートの壁にはさまれて」や「君と歩いてみたくて」など当時から天野くんとは一線を画す歌唱力と甘い歌声、そしてファッションで多くのファンを魅了していました。
この曲は彼の人気を決定付けるような作品となりました。
福井崚さんのストリングスアレンジが素晴らしいですね。この曲をより劇的に、そして悲しみをさらに深いところまで誘います。コンサートでも必ず中村くんが歌っていた所謂「十八番」の曲でもありました。
【解説】N.S.P 平賀和人
N.S.Pの中でもポップ色の濃いアルバム『八月の空へ翔べ』に収録されている作品で僕が歌っています。当初は作詞・作曲した天野くんが当然のように歌う予定でしたが、彼自身歌ってみてしっくりこなかったようでディレクターと相談の末、僕に白羽の矢が立ちます。いきなりその場で天野くんのにわか歌唱指導の下、録音したバージョンがこれです。
N.S.Pでは時々起こる現象です。逆に僕が歌うはずだった曲を奪われたり(笑)
程よい暗さと素朴さがこの歌詞の世界とマッチしています。自分ではよく分かりませんが天野くんがまだ持ち合わせていなかった大人の男がそこに佇んでいたのだと思います。
その数年後「情感的禁区」というタイトルで香港の有名な俳優・歌手の劉徳華(アンディ・ラウ)さんが広東語でカバーすることに。天野くん、訳詞の意味も分からずとっても喜んでいました。
【解説】N.S.P 平賀和人
イントロのピアノと青木望さんのストリングスアレンジがとても印象的なこの作品はアルバム『冬の時代』の先行シングル。
究極のラブ・ソング。サビのファルセットも耳に残りますね。実はこのファルセットには昔々マギーメイというフォークロックバンドでギター&ボーカルとして大活躍していた実川俊晴さんに参加していただいています。そう、あのあんしんパパ名義でブレイクした(「はじめてのチュウ」)お方でもあります。メチャクチャきれいな声の持ち主で、天野くんとは甘味処を食べ歩くサークル繋がり、プライベートでも親交を深めていました。メロディと歌詞が非常にソフィスティケイトされていて暗いけども大好きな作品です。
N.S.P本体はコンサートツアーもレコーディングも余裕のあるスケジュールで楽しく取り組めていた時期でしたが、いかんせんシングルヒットから若干遠ざかっていて僕ら以上に周りが危機感を感じていたようでした。N.S.P解散説が飛び出したのもこの頃でした。
特に僕と中村くんの身を案じるスタッフが多く、その一環としてソロ活動を強いられます。中村くんはソロコンサートに身を投じます。そして僕は同じレコード会社所属の声優さんTARAKOのシングル&アルバムをプロデュースすることで、より一層音楽の幅や深さを知ることになります。
【解説】N.S.P 平賀和人
僕の長男が誕生した日。
予定日はもっともっと前だったのですが、奥さんが頑張って粘ってくれて発売日に出生したわけです(笑)
縁起がいいので大ヒット間違いなしと勝手に妄想していましたが、期待したほどではありませんでした。
N.S.Pのシングルにしては珍しく恋愛ものではありません。
中高、学生時代の仲間と久し振り会って旧交を温めようと思ってもなかなか昔みたいに弾まない噛み合わない会話、いつの間にか話題のズレに心の距離を感じてしまったというようなリアルでしみじみする歌詞に、最初は爺臭いなと思いながらレコーディングしていましたが、スルメと一緒で噛めば噛むほど味が出る、僕らにとってそんな深くてコクのある作品となりました。
コンサートでは天野くんのメインボーカルでしたが、三人肩を組んでユニゾンで校歌でも唄うような、そんなイメージで臨んでいました。この曲も何故かアルバムに収録されなかった数少ないシングルです。
【解説】N.S.P 平賀和人
デビュー50周年記念盤を締め括るのは東北新幹線やまびこのイメージソング。
この話が飛び込んできた時には正直驚きました。
別れや失恋の歌を持ち味にしているN.S.Pだぞ。もっと他に誰かいるでしょう!という思いと、東北出身だしよくぞ声をかけてくれました!というクール&ホットな思いが複雑に交差していました。
「愛のロジック~論理~」とは真逆な究極のラブ・ソングです。
全国的ニュースにもなるようなメジャーなタイアップという事もあってか天野くんにしては珍しく前向きにめぐり逢うことで生まれるナニかを力強いメッセージに込めながらサラっと爽やかに歌い上げています。
東北新幹線(大宮-盛岡間)が開業したのが1982年6月。あれから40年以上も経つんですね。今では僕らN.S.Pの故郷でもある岩手県一関市の一関駅新幹線ホームでは発車ベルの代わりに「夕暮れ時はさびしそう」のメロディが20秒ほど流れていてファンの方々はそれ目当てに観光に訪れてくれるという話を一関市のほうからたくさん伺っています。
そういう意味でも本当に新幹線が開通して良かったし、一関市に停車してくれて本当に良かったと。
【解説】N.S.P 平賀和人
1973年3月。都内某スタジオ。
一関高専最終年前の春休みを利用してデビュー曲予定の「あせ」をレコーディングするため上京していた僕らN.S.Pは、スタジオの余った時間を使わせてもらい、新曲です」 と、せ~の! で録音した楽曲「さようなら」のプレイバック中。
天野「歌詞を間違っちゃったよ」
中村・平賀 「えっ? どこさ!?」
天野 「悲しくさせる"を"さみしくさせる"って歌っちゃったよ」
平賀 「大丈夫だよ、本チャンじゃないもの」
中村「そうそう、この曲はデモテープなんだからさ!」
そんな「さようなら」でデビューを果たし、今年の6月25日で満50年を迎えます。 デビュー50周年といったってN.S.Pの場合、オリジナルメンバーで活動したのはレコードデビューした1973年6月25日から1985年の 「FLY TO THE MOON CONCERT TOUR 1985』 終了後までの約13年間と、自分たちの都合で勝手に復活した2002年1月から2005年3月 までの3年間・・・の約16年。今も第一線で活動、活躍しているアーティストの方々と同レベルで語られると肩身も狭いし 照れるし、委縮してしまいます。
それでも解散も出来なければ復活も出来ない不思議なグループのメンバーだった僕に「今年でデビュー50周年だね」 と声をかけてくれる音楽関係者や祝福してくれる多くのファンがいることに驚かされます。 そして素直に「ありがとうございます」と言える自分がいます。
それは多分・・・N.S.Pのメンバーだったことに誇りをもって生きているからなんだと勝手に解釈しています。親友にして盟友でもあった天野くんと中村くんの二人、そしてN.S.Pに長きにわたって関わってくれた大切なスタッフを尽く失ってしまった僕ですが、お話を頂いたこの企画のために当時の作品を聴き直してみました。
どこまでも未熟な完成度に恥ずかしさがついて回りますが、当時は一生懸命新たな曲に取り組み、試行錯誤を重ねて完成の喜びに浸ったり、翌日には即、後悔したり・・・そんな日々の連続でした。
いろんな記憶が甦り、不覚にも泣き笑いを繰り返すばかりで、なかなか前に進めませんでしたが、腹を括ってやっと完成させました。往年のファンはもちろんですが、N.S.Pのことは知らなくても一度は耳にしたことのあるような初期から中期(1973-1984)にかけてのシングル音源を中心に選曲してみました。当時、ラジオやレコード屋さんや町中で流れていた音源、彼氏や彼女あるいは兄やお姉さんや学校の先輩に教えてもらって影響を受けた音源に反応してもらえたら嬉しいです。
懐かしい〜!と感じながらも「あの頃」とは一味違った作品に聴こえたなら、それは皆さんが人生という荒波を乗り越えて酸いも甘いも経験して生き抜いてきた今の自分があるから。ひょっとしたら、今あなたの傍にいるかけがえのない人とは違う誰かさんをフラッシュバックするように一瞬ですが思い出すことになるかも知れません。でもそれでいいのでは? 聴き終えたらいつもの日常生活、現実に戻ります。「あの頃」のような情熱は取り戻せないけれども、もうちょっと頑張ってみようかな、という前向きな気持ちになってもらえたらこのベスト盤の意義は大きいものとなります。
最後にN.S.Pからファンのみなさんへ・・・
僕らが届けた多くの作品を大きく育ててくれてありがとうございました! そして、デビュー50周年を迎えるにあたって嬉しい報告もあります。
令和元年7月1日。僕らの大ヒット曲「夕暮れ時はさびしそう」の舞台となった一関市内を流れる磐井川の堤防の一角に、メモリアルスポットが設置されました。その噂はあっという間に拡散され、岩手県内外から多くのファンが訪れるようになり今 や新名所になりつつあります。やはり夕方5時から7時あたりの"夕暮れ時”が人気のようです。
それが評価され、僕らN.S.Pは令和4年度一関市市勢功労賞を受賞することに。 同年の文化の日11月3日に開催された祝典 & 授賞式にも出席できたことをここに記しておきます。
N.S.Pの作品に止まらず、僕らを育んでくれた町まで長きにわたり応援してくださるホンモノのファンの皆さん、心より感謝いたします。この賞はファンの皆さんが受賞した功労賞だと認識しています。本当におめでとうございました。
僕から雲の上の二人へ・・・
N.S.Pのお陰で今の自分が在ります。今日も頑張れています。
相変わらず二人のことは忘れることがないので思い出す必要もない日々を過ごしています。
N.S.P 平賀和人