国内アーティストふきのとう/スーパーヒット・セレクション18
ふきのとう/スーパーヒット・セレクション18
商品名 ふきのとう/スーパーヒット・セレクション18
発売日 2021年01月20日
商品コード DQCL-4075
JANコード 4560427460215
定価(税込) 2,200円
収録時間 75分17秒

いつまでも色褪せない、忘れられない珠玉のフォーク・ソングをあなたに。数々のヒット曲で綴る、珠玉のベスト・アルバム。

※山木康世 本人の全曲解説付き


ふきのとうプロフィール

山木康世と細坪基佳によって結成されたフォーク・デュオ。74年にシングル「白い冬」でCBSソニーよりデビュー。
多くのシングルヒット曲を生み出しながら、14枚のアルバムを発表したのち、1992年5月北海道厚生年金会館のコンサートで18年にわたる活動に終止符を打つ。代表曲は 「風来坊」「春雷」など多数。
1950年札幌市生まれ。
1974年、フォーク・デュオ「ふきのとう」のリーダーとして音楽家生活をスタート。同グループのシングル曲、ほぼ全てを作詞作曲。28枚のシングル作品、14枚のオリジナル・アルバム、さらには数多くのライヴ盤やベスト盤を遺し1992年に解散。以降ソロ・アーティストとして2020年現在までに19枚のアルバムをリリース。 生涯発表作品も400曲を軽く超え、音楽作家として現在も精力的な活動を続けている。ギター演奏にも定評がある。
1952年札幌市生まれ。
大学の先輩である山木康世とともに「ふきのとう」を結成、リードシンガーとして不動の人気と地位を確立する。
1992年解散後はソロ活動を開始、数多くのアルバムをリリースし、コンサート活動も精力的に敢行。
また、ソロ活動の傍ら、座・ジローズ、Song for Memories、風のアルペジオなどのグループでの活動も行っている。

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JASRAC許諾第S2011253706

楽曲解説(山木康世)


  1. 春雷

    ◆1979年2月25日発売

    母があの呪わしき病気に罹らなければこの歌は生まれていない。デビューから6年、20代も終えようとしていた。 「白い冬」 「風来坊」 とそれを越える良い歌がほしかった。 元々は男女の歌だったが、 マネージャーのリクエストで大幅に詩を書き換えた。元の歌なら長続きしなかったかも。

    【解説】山本康世

  2. 風来坊

    ◆1977年7月21日発売(アルバム『風来坊』収録)

    ディランの風に吹かれては当時の世代のキーワードのような気がする。21世紀の世代はWindowsであろうか。旅から旅への生活が定着出来るようになった歌である。 北海道の片田舎で見つけたマンドリンを片手に「白い冬」以上にふきのとうのイメージを決定づけたかもしれない。

    【解説】山本康世

  3. 雨ふり道玄坂

    ◆1976年9月21日発売

    第二の「白い冬」を、と来る日も来る日も格闘した結果の歌である。東京にいながら行ったこともない渋谷 道玄坂。女学生たちが修学旅行で、どんなところかと興味深げに訪ねて、そのネオン街に驚いたそうである。そりゃそうだ、僕も行ったことのない未知なる区域だったのだから。

    【解説】山本康世

  4. 流星ワルツ

    ◆1977年12月21日発売

    メロディは秀逸だと自負している。流星が果たして適切な言葉だったのか今でも疑問符が付く。会社の方でも、さわやか路線のイメージが壊れないか論議されたそうだ。少し演歌調かなと思ったが、この際イメージ打破も面白いと思ったのも事実だ。

    【解説】山本康世

  5. 哀歌

    ◆1977年4月21日発売(アルバム『水草』収録)

    僕の創ってきた歌詞の根本に侘び寂びという思いがある。足して「WASABI」という言葉を作った。古希の祝いに5日間で100曲を歌いきる祝賀会を開いた。ギター1本による弾き語りはこの思いを如実に反映していたようである。

    【解説】山本康世

  6. 影法師

    ◆1978年4月21日発売

    「風来坊」に続く夕日、日向イメージで僕が好きなふきのとうイメージの歌である。デジタル時代でも日本のお祭りはアナログである。お化け屋敷、見世物小屋、屋台自転車の後ろに乗った君の思い出もアナログだ。

    【解説】山本康世

  7. 空を飛ぶ鳥

    ◆1978年7月21日発売(アルバム『思い出通り雨』収録)

    空を飛ぶことの出来る生物は昆虫と鳥だけだ。 鳥の祖先は恐竜と言うから驚きだ。 鳥の大仕事はまず風を見つけて飛翔、滑空するための羽ばたきだ。
    羽根の構造に追いついてもいない人類の英知。

    【解説】山本康世

  8. ここは沖縄

    ◆1978年8月1日発売(沖縄限定シングル)

    本当に「風来坊」ではお世話になった沖縄。当時中学生だった人たちは今頃、還暦前の脂ののりきった世代であろう。シンプルで飾り気のない歌は飽きが来ない。「風来坊」の沖縄限定感謝ソングである。

    【解説】山本康世

  9. 初夏

    ◆1975年5月21日発売

    アマチュア時代のふきのとうの十八番だった。「白い冬」も「風来坊」も「春雷」もまだまだ世の中に存在しない頃、冬季オリンピックを少し斜に構えて創った。

    【解説】山本康世

  10. 柿の実色した水曜日

    ◆1979年7月21日発売

    オカリナは素朴な楽器である。20代最後の純愛ソングかもしれない。携帯電話もメールもネットも遠い未来の話。そこで恋愛していた男女は、今の時代とは比べものにならないくらい強くて深いモノがあったかもしれない。

    【解説】山本康世

  11. やさしさとして想い出として

    ◆1980年1月21日発売

    3連バラードはステージ映えのする歌である。いろいろな意味でスケール感が出てダイナミックにステージを飾ることができる。今でも聞かれることがある。歌詞の中に出てくる9月は何を暗示しているのか?彼女の結婚である。

    【解説】山本康世

  12. 冬銀河

    ◆1980年1月21日発売

    文字通り空いっぱい満天の星空の下での思いである。天の川も分からないほどの星空に抱かれていると、地球が宇宙の中の1個の星に過ぎないことを感じることができる。まるで砂漠の中の一粒の砂のようである。

    【解説】山本康世

  13. メロディー

    ◆1981年5月21日発売

    比較的成就しない恋物語の多い中、これは前向きで希望のある明日への歌である。結婚式で歌ったとお客さんから聞いたことがよくあった。いつでも心に太陽を、唇に歌を、忘れがちなことであるが長い人生の中で必要なエッセンスである。

    【解説】山本康世

  14. ひとりの冬なら来るな

    ◆1982年10月21日発売

    僕自身はそれほど感じなかったが、初めての発表当時ステージの照明関係者にほめられた。 タイトルで言い切っている感じがすごいと。確かに人間ではどうしようもない季節の到来を断固拒絶することは案外難しいことかもしれない。

    【解説】山本康世

  15. 山のロープウェイ

    ◆1982年10月21日発売(アルバム『011』収録)

    2017年、実に35年ぶりに第3者によって日の目を見た歌である。「藻岩山」ロープウェイの公式テーソングに認定された記念碑的な歌となった。子供のころから慣れ親しんだ札幌市民の山の栄えある歌に選ばれたのである。

    【解説】山本康世

  16. 季節の夕暮れ

    ◆1985年4月1日発売

    確実に80年代から音楽は変わっていった。その一つに打ち込みというデジタル時代の先駆けのような音楽の要素が加わった。人間では不可能な正確無比なリズムの巧妙さのとりこに熱病のように音楽関係者は猫も杓子も取りつかれていった。

    【解説】山本康世

  17. 星は天から大地

    ◆1985年4月21日発売(アルバム『北極星』収録)

    歌詞のミソは「遠い昔の日よ永遠に輝け そして今日の日よ」である。昔だけでは生きてゆけない。やはり今日の日をいかに過ごすかで長い人生の彩が変わってくる。自分次第で大幅に変わってくる人生、一歩一歩信じて歩くしかない。

    【解説】山本康世

  18. 白い冬

    ◆1974年9月21日発売

    この歌が人生のスタートを決めて、46年経った今でも何かと気色ばってくれるのであるから、たかが歌されど歌である。世は歌につれ、歌は世につれとはよく言った言葉である。
    20代においてこの歌を創ることがなければ、すべての始まりもなく終わりもなかったわけであるから、人生とは実に合縁奇縁、奇妙奇天烈なものである。

    【解説】山本康世

リリースに寄せて
学生時代、とある教室におけるフォークソングクラブの例会が、今後の長きにわたる人生の発端を決めたとは、恐ろしくもあり素晴らしき音楽人生の始まりであったとは。
神のみぞ、いや神もご存知あるめぇ秋の点のようなひと時であったのだ。
「ぜひ朝の番組に出て歌ってほしい」バイト先の音楽の店でいつも一人、カウンターでビールをたしなんでいるNHKの音楽好きな、眼鏡で細面さんに依頼された春の夜。そこでオリジナルソングを歌ってほしいと言われ、それまでにグループ名を決めておいてほしいともついでに言われた。
降ってわいたようなテレビ出演の話。
オリジナル曲の締め切りは1週間、格闘の日々が続いた。当日の朝、担当者から「テロップに流すのですがグループ名は何ですか?」
とっさに答えた「ふきのとうです」。細坪は内心寝耳に水だったろうな。 デビュー直前SONYの方から「ふきのとうという名前 はどうだろう? 分からない人がいるかもしれないので、もう少し分かりやすい名前は」ということが宣伝会議で話題になった。
アマチュア時代からの愛着もあって、強くは反対しなかったがこのままで良いと思っていた。

2020年 秋 山木康世

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