国内アーティスト河島英五/ベスト・ソングス~18ヒストリー
河島英五/ベスト・ソングス~18ヒストリー
商品名 河島英五/ベスト・ソングス~18ヒストリー
発売日 2023年06月07日
商品コード DYCL-4092
JANコード 4547366615241
定価(税込) 2,200円
収録時間 77分24秒

色褪せない歌声とメッセージ、魂のエールソング。河島英五の代表曲を収録。

優しさに溢れた歌詞、力強い歌声で今なお人気の河島英五。代表曲「酒と泪と男と女」「時代おくれ」収録のベスト。


全曲歌詞付
寄稿:三須純平


収録内容


  1. 酒と泪と男と女

    作詞・作曲:河島英五 編曲:河島英五、スロートレイン

  2. どんまいどんまい

    作詞・作曲:河島英五 編曲:河島英五、スロートレイン

  3. 時代おくれ('93バージョン)

    作詞:阿久悠 作曲:森田公一 編曲:河島英五、スロートレイン、小野裕之

  4. 野風増(のふうぞ)

    作詞:伊奈二朗 作曲:山本寛之 編曲:河島英五、スロートレイン

  5. 生きてりゃいいさ

    作詞・作曲・編曲:河島英五

  6. ノウダラの女

    作詞・作曲:河島英五 編曲:河島英五、スロートレイン

  7. のんべ

    作詞・作曲:河島英五 編曲:服部隆之

  8. 月の花まつり

    作詞・作曲:河島英五 編曲:河島英五、スロートレイン

  9. 地団駄

    作詞・作曲・編曲:河島英五

  10. ほろ酔いで

    作詞・作曲:河島英五 編曲:服部隆之

  11. だれかが風の中で

    作詞・作曲:河島英五 編曲:服部隆之

  12. いくつかの場面

    作詞・作曲:河島英五 編曲:服部隆之

  13. 晩秋

    作詞・作曲:河島英五 編曲:若草恵

  14. 行かないでくれ -SLOW TRAIN COMING-

    作詞・作曲:河島英五 編曲:河島英五、スロートレイン

  15. 流れる雲

    作詞・作曲:河島英五

  16. 旅的途上(たびのとじょう)

    作詞・作曲:河島英五 編曲:宮崎慎二

  17. 元気だしてゆこう

    作詞・作曲:河島英五 編曲:阿部義晴

  18. 伝言(メッセージ)

    作詞:三浦徳子 作曲:河島英五 編曲:和泉一弥



心から心へ 伝え続ける英五ソング

三須純平(元ソニーミュージック担当ディレクター)2023. 3

■河島英五

952年大阪府東大阪市出身のシンガーソングライター。
1969年高校在学中にフォークソングを始める。高校卒業後「ホモ・サピエンス」というグループで活動、京都の自主レーベル・京都レコードからデビュー、支離滅裂派フォークとして、あのねのねらと活動を共にした。デビュー当時は、その風貌とボーカルスタイルから“吉田拓郎の再来”などと騒がれた。1973年、グループ解散後ソロ活動開始。1975年4月、「河島英五とホモ・サピエンス」でメジャー・デ ビュー。1976年6月、ソロ名義初シングル「酒と泪と男と女」リリース。活発なライヴ活動と共に多くの作品を発表しつつ他アーティストに楽曲提供。現在も数々のアーティストによるカバー、カラオケ、YouTubeにより愛されている。
2001年4月16日、肝臓疾患のため急逝、48歳。

レーベルは、
 イエローストーン・レコード
 PEP MUSIC SERVICE
 ワーナー・パイオニア/エレクトラ・レコード
 SMS Records
 CBS/SONY RECORDS
 Sony Records
 wea japan/WARNER MUSIC JAPAN

マネージメントは、
 インタースペース京都レコード(ISKR)
 スロートレイン

私は1975年CBS・ソニー(現在ソニーミュージックエンタテインメント)入社、1997年退社まで制作部に在籍、河島英五さんが1984年よりソニーに移籍されて以来、制作を担当しました。この記述は私の経験をもとに、このベストアルバム収録作品にふれたものです。

英五さんはソニー移籍当時、すでにライヴをベースに活動、盛り上げ曲の定番“どんまいどんまい”をはじめ、バラード曲“酒と泪と男と女”の大ヒットでシンガーソングライターとしての地位を確立、加藤登紀子さんへの提供作品“生きてりゃいいさ”、沢田研二さんへの提供作品“いくつかの場面”等により独自の作品の発表を続けていました。私も“いくつかの場面”を沢田研二さんがステージで歌唱、自分の人生をオーバーラップさせたかのようなその内容から、自身が嗚咽してしまう風景を見、英五さんの人の心の奥深くへ接蝕する作品の世界を痛切に感じていました。この作品“いくつかの場面”は、その後英五さんが、ライヴのアンコールで、ピアノの弾き語りで頻繁に取り上げ、歌うという大変印象深いものとなりましたが、そんな河島英五というアーティストの印象を強く持っていました。

1983年に私が韓国のアーティスト、チョー・ヨンピルを担当していた頃、歌詞を英五さんに発注した関係から、当時のマネージャー、インタースペース京都レコード(ISKR)中川秀雄社長とのおつき合いがはじまり、当時の英五さんのポジションをワンランク上げることを念頭に、子供が二十歳となる時を歌う作品“野風増”をSMS Recordsの最後の作品とし、ソニーに移籍という運びとなりました。

すでに確立されている英五さんの位置を上げるためには、どうしたら良いかと考えた末、作家(作詞家、作曲家)を導入してみることとし、数人の作家に全10曲を発注、録音をはじめました。阿久悠先生もその一人で、ただ、今一つ英五さんの作品を凌駕するものに出会わなかったという感想から、阿久先生に依頼した2曲の枠を増やし、更に1曲追加発注してみました。それが“時代おくれ”の誕生です。

阿久先生との打ち合わせで、私は、80年代初めから全般的にアーティストがオシャレな方向を目指していると感じ、そのうえで英五さんのように激しいライヴでのスタイルは、季節はずれとか、時代おくれとか、そんな現在とズレが起きているのではないか?と投げかけてみました。阿久先生のその私の表現に対する返答は、“たしかに、1万メートル競争で、1つの競技場のトラックを選手達がグルグルと走り回り、数周まわった後、先頭の集団群を見ると、一番前を走っている選手が実は一番最終走者ということがあるよね,、、、、、、、、時代おくれか?(つぶやくように、感慨深く一言)、、、、”という比喩的、暗示的なものでした。常々、歌とは〈狂気の伝達〉と言われていた阿久先生の哲学、超一流の表現がこの作品の形となり、ソニー移籍第1弾のシングルとして1986年4月21日発売されました。“時代おくれ”です。(*本CDでは1993年発表ヴァージョンを収録)

そして、発売から5年後、1991年6月に放送されたNHKテレビ番組「阿久悠 歌は時代を語り続けた」オンエア後、英五さんのCDの売り上げも落ち着いていた中、突然1日3ケタ数字のCD注文の殺到が続き、その年の紅白歌合戦に英五さんが出演することとなり、ピアノの弾き語りでの“時代おくれ”がNHKホールで響き渡ることとなりました。

作家・阿久先生との作品はこの後も続きますが、当初のシンガーソングライター河島英五にリセットし制作を再開します。昨年2022年亡くなりました村田兆治投手――1989年に200勝を達成、一度は再起不能といわれるなかカムバック、「マサカリ投法」といわれた個性的なスタイルの選手、その生き方に英五さんも感銘を受け作品化した“地団駄”は1989年発売のシングルとなりました。(*本CDでは1992年発表ヴァージョンを収録)“、、、、、肘を痛めて再起不能と云われた投手、息子ほどに若い打者に挑みかかってゆく、、、、、、”(歌詞の一部)、この息子ほどに若い打者とは、清原和博選手のことです。村田兆治、清原和博の最後の対決は実に手に汗握るシーンでしたが、CD発売時にテレビの取材で英五さんが村田兆治さんと会い、話す場が放送されました。“地団駄”についても語り合いましたが、最後に村田兆治さんが、実は私は“時代おくれ”が一番好きな歌なんです、と言われました。やはり村田兆治さんという方はその生き方も野球のプレイ同様、実直、一本気な性格の人だ、とつくづく感じた次第です。

“ほろ酔いで”は1992年のシングル作品です。アレンジは服部隆之さん、私は当初このアレンジは英五さんのアーティストカラーとしてはブリリアント過ぎるか、という感じがありましたが、ライヴ、オンエア回数、時間の経過と共に座り心地の良い人生讃歌となりました。30年経った今聞いて見て、その当時の服部隆之さんの慧眼に敬意を表する次第です。翌年の同タイトルのアルバムは全曲服部隆之さんにアレンジをお願いしました。

“のんべ”について。80年代、“酒と泪と男と女”(河島英五)、“大阪で生まれた女”(BORO)、“悲しい色やね“(上田正樹)の3作品は大阪三部作とメディアで評されていました。作業としては大阪四部作の実現を、と目指し制作した記憶があります。1993年シングル作品、英五さんの得意とする内面描写の濃厚な作品です。

“旅的途上(たびのとじょう)”はアコースティック楽器のみで録音、発売したアルバム『アコースティックベストセレクション』(1991年)収録曲を1996年再録音したシングル曲です。この作品が、濱田酒造「隠し蔵」CMタイアップとなり、“酒と泪と男と女”が清酒「黄桜」、“時代おくれ”が白鶴「生酒」、“ほろ酔いで”が沢の鶴「本醸造辛口」、と酒にまつわる河島英五イメージが定着しました。

英五さんは、大きな悲しみというものの表現が出来、人を普遍的な深い場所へ、感情移入という手段で引き込み、誘う力のある、珍しいアーティストだったと思います。数多くのライヴ、作品発表から、そのCD、LP、カセットテープ、ライヴ映像は今も愛され続けています。いつだったか、ライブステージから観客に向かい、“日本のスタンダードを(目指します)!!”というような宣言をされていました。YouTubeでの再生回数、“酒と泪と男と女”2100万回以上、“時代おくれ”2300万回以上。あの時の宣言は見事に実現され、さらに、これからも多くの人が共感、また、一緒に語り、伝え続けることでしょう。

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