国内アーティスト森繁久彌 我がわらべ心~懐かしき叙情歌~
森繁久彌 我がわらべ心~懐かしき叙情歌~
商品名 森繁久彌 我がわらべ心~懐かしき叙情歌~
発売日 2009年10月10日
商品コード MICR-3024
JANコード 4571117352093
定価(税込) 2,619円
収録時間 72分24秒

時は移り、現代人が忘れつつある、また失われていく郷愁、四季の美しさ、日本固有の文化。このアルバムでは琴線にふれる「日本の心~心象風景~」とも言うべき名曲の数々を自身のナレーションと歌で綴っている。瞼閉じれば心に浮かぶ古き良き日本の情景一我がわらべ心

次世代へ残したい日本のうた、ふるさとのうた。


歌詞カード付

ナレーション構成: 森繁久彌・星野哲郎


森繁 久彌


[1913(大正2)年5月4日大阪府枚方市生まれ ]

早稲田大学を中退後、東京宝塚(現・東宝)新劇団、日本劇場の舞台係、東宝新劇団、東宝劇団、古川禄波一座を経て、その後NHKアナウンサーになり満州にわたる。

終戦後に初主演作「腰抜け二刀流」、サラリーマン 喜劇「社員・重役」シリーズ、社長役として主演の「社長」シリーズ、森の石松役で出演の「次郎長三国志」シリーズ、「駅前シリーズ」ほか以降も数多くの映画作品に出演。
舞台でも「佐渡島他吉の生涯」ほか、代表作とでも言うべき900回にわたりユダヤ人・テヴィエ役を演じたミュージカル「屋 根の上のバイオリン弾き」など多数にわたる。
テレビでも「おやじのヒゲ」「七 人の孫」「だいこんの花」ホーム・ドラマのみならず時代劇に社会派系ドラマ、声優(外国ドラマ、アニメほか)、CMとさまざまな分野に大活躍。我国の社会福祉事業の発展に貢献することを目的に1966(昭和41)年に法人認可された「社団法人あゆみの箱」(現名誉会長)運営、活動に尽力。

また多くの社会、文化活動の功績から文化勲章受賞はじめ文化功労者、芸術選奨文部大臣賞受賞など多数の栄誉に輝く。
音楽でも自身、作詩、作曲を手掛けるが、1967(昭和40)年、シンガーソングライターとしての「知床 旅情」が大ヒット。日本の歌「叙情歌」として現在でも歌い継がれている。

時は移り、現代人が忘れつつある、また失われていく郷愁、四季の美しさ、日本固有の文化。
このアルバムでは琴線にふれる「日本の心~心象風景~」とも言うべき名曲の数々を自身のナレーションと歌で綴っている。瞼閉じれば心に浮かぶ古き良き日本の情景一我がわらべ心一

森繁久彌 我がわらべ心~懐かしき叙情歌~

収録内容


  1. 早春賦

    吉丸一昌作詩、中田章作曲によるこの曲は、1913年(大正2年)に刊行された『新作唱歌』第三集に発表されました。
    吉丸一昌は、東京音楽学校の教授時代、しばしば長野県の南安曇野に訪れ、穂高町あたりの雪どけ風景に感動し「早春賦」を書いたと言われています。中田章は東京音楽学校在学中にこの曲を作曲しました。
    「夏の思い出」「めだかの学校」などの作品で知られる作曲家の中田喜直は章の息子です。

  2. 作詩:吉丸一昌/作曲:中田 章/編曲:岩河三郎

  3. 春の小川

    1912年(大正元年)に教科書「尋常小学唱歌(四)』に発表されました。春の田園風景を思い浮かべますが、実はこれは作詩の高野の自宅があった、現在の東京の代々木付近の河骨川(こうぼねがわ)がモデルだと言われています。東京オリンピックの選手村ができたときに埋め立てられ、現在のこの河骨川は下水道の一部になっており、昔ののどかな面影は無くなっています。
    この歌は、のちの「初等科音楽」(昭和17年(1942)3月刊)で「さらさら流る」が「さらさらいくよ」ほか、口語体に修正され現在歌われている詩とは異なっています。

  4. 作詩:高野辰之/作曲:岡野貞一/編曲:岩河三郎

  5. あおげば尊し

    この「あおげば尊し」は「蛍の光」とともに以前は卒業式の定番の歌でした。しかし、時代の流れとともに現代では歌われることも少なくなっています。1884年(明治17年)の『小学唱歌集(三)」に初めて載りました。歌詩・曲とともに作者は不詳です。

  6. 作詩・作曲:不詳/編曲:岩河三郎

  7. 故郷

    作詩の高野辰之が自身の故郷(長野県)の情景を描写したとされる。この曲は、1914年(大正3年)、「尋常小学唱歌(六)』に初めて登場して以来、小学校の教材として今日まで歌いつがれています。好きな唱歌のアンケートをとると必ずと言っていいほど真っ先に挙げられる曲です。それはこの歌に、わたしたちが思い描く清らかに輝く自然の風景、父母への畏敬の念、友情などの「美しさ」が歌われているからではないでしょうか。

  8. 作詩:高野辰之/作曲:岡野貞一/編曲:岩河三郎

  9. 朧月夜

    朧月夜は1914年(大正3年)刊行の「尋常小学唱歌(六)」に掲載されて以来、現在でも音楽教科書に欠かせない曲です。
    この曲の歌詩は文語調で難しい言葉がたくさん入っていて、現代の子供達にはかなり難しい曲ではないかという声もありますが、日本の春の風景、情景、伝統的な農村部の特徴を見事に表現し、格調高い歌詩と優雅なメロディーがあいまって、広く親しまれています。作詩の高野辰之と作曲の岡野貞一は、「春が来た」「紅葉」「故郷」など名作を数多く残しています。

  10. 作詩:高野辰之/作曲:岡野貞一/編曲:岩河三郎

  11. 茶摘

    この曲は、1912年(明治45年)、「尋常小学唱歌(三)」に発表されました。
    八十八夜とは立春から数えて八十八日目のこと。現在では5月1日か2日にあたり、茶を摘むには最適の日とされていました。
    歌詞は、民謡の「茶もみ唄』や京都の宇治田原(うじたわら) の「茶摘み唄」などをもとにつくられたようです。子どもたちがお互いの手のひらを打ちあわせて遊ぶ、手合わせ歌としても知られています。

  12. 文部省唱歌/編曲:岩河三郎

  13. 夏は来ぬ

    この「夏は来ぬ」は1896年(明治29年) の『新編教育唱歌集(五)」に初めて掲載されました。格調高い歌詩で、初夏の情景を見事に表現しています。言葉としては難しいのですが、現代でも大変親しまれている楽曲のひとつです。

  14. 作詩: 佐佐木信綱/作曲:小山作之助/編曲:岩河三郎

  15. 椰子の実

    この歌は、島崎藤村が民俗学者の柳田国男から、南の島から椰子の実が流れ着いていた様子を聞いてこの詩を作り、1900年(明治33年)に発表しました。
    作曲は大中寅二で、1936年(昭和11年)7月13日からNHKで一週間「国民歌謡」として、東海林太郎の歌で放送されました。その後全国で評判になり、長く歌われるようになりました。

  16. 作詩: 島崎藤村/ 作曲:大中寅二/編曲:岩代浩一

  17. この曲は、1896年(明治29年)5月「新編教育唱歌集」の第三編に掲載されました。明るい3拍子の曲調、七五調の歌詩で、発表以来人々に大変親しまれた曲の一つです。夜、意気揚々と漁に出て、大漁旗を朝日輝く中、大漁旗を揚げて帰ってくる船をみとめて活気づく港の様子、そして労働の尊さを美しい言葉で表現しています。
    なお2番の詩は、「響く汽笛に夜は明けていつか消えゆく空の星大漁の歌も勇ましく朝日を浴びて船帰る」という歌詩がなじみのある方も多いかもしれませんが、これは林柳波が書いたもので、戦後文部省の『三年生の音楽』(昭和22年)に採択されています。
    また歌われている3番の詩は森繁久彌自身が書き下ろしました。

  18. 作詩:林 柳波、旗野十一郎、 森繁久彌/作曲:吉田信太/編曲:岩河三郎

  19. 赤蜻蛉

    この曲は、三木露風が北海道のトラピスト修道院にいたころ作詩をしたと言われています。詩の発表は1921年(大正10年)で、曲の発表は、1927年(昭和2年)に行われています。母親への思い、故郷への思いが表れている曲です。現代でも多くの人にもっとも愛されている曲の一つです。
    秋の気配を感じたときの切なさと、歌われている人々の秘めた心の内が重なり、ゆったりとした情緒深い曲と相まって、何とも言えない哀愁を感じさせます。

  20. 作詩:三木露風/作曲:山田耕筰/編曲:岩河三郎

  21. 花嫁人形

    この「花嫁人形」の詩が発表されたのは1923年(大正12年)、少女雑誌『令女界』に発表されました。作詩の蕗谷虹児は竹久夢二の推薦で、挿し絵を描きはじめました。以後、数々の少女雑誌の挿し絵で人気を得ました。この「花嫁人形」の詩や彼の書いた絵には子供の頃に亡くなった母親への想いが影響していると言われています。

  22. 作詩:蕗谷虹児/作曲:杉山長谷夫/編曲:岩代浩一
    ※おことわり この楽曲は制作当時の構成上、原曲の3番と4番の歌詩を差し替えて歌唱しております。

  23. 夕日

    この曲は1921年(大正10年)、雑誌『白鳩』に発表されました。作詩をした葛原しげるは広島県生まれ。祖父は琴の名手で、その影響をうけてか、宮城道雄の演奏会のために作品を発表したこともあるそうです。もの悲しい感じの夕焼けも、この歌ではちょっと明るい感じになっています。

  24. 作詩: 葛原しげる/作曲:室崎琴月/編曲:岩河三郎

  25. 浜千鳥

    この「浜千鳥」は、1920年(大正9年)雑誌『少女号』の新年号で発表されました。作詩は鹿島鳴秋、作曲・弘田龍太郎です。
    弘田の曲には「靴が鳴る」「叱られて」等の誰でも口ずさめる名曲が多数あります。鹿島鳴秋との曲には、「金魚の昼寝」等があります。

  26. 作詩:鹿島鳴秋/作曲:弘田龍太郎/編曲:岩代浩一

  27. 紅葉

    この曲は、1911年(明治44年)刊行の「尋常小学唱歌(二)」に初めて掲載されました。秋の「紅葉」は、春の「桜」と並んで私たちが待ちわびる自然の情景です。赤や黄色の紅葉が見られるのは、日本特有のものです。四季があるからこそ愛でることの出来るこの美しい景色を、作詩の高野辰之は、一年のうちでより赤く輝くタ陽と共に詩に表現しました。

  28. 作詩:高野辰之/作曲:岡野貞一 / 編曲:岩河三郎

  29. 星の界 (よ)

    この歌の元になる曲はコンヴァースが書いた「Erie」という曲で1868年に作曲されました。当時は、歌詩がなかったようです。この曲は世界中で歌詩がつけられ、日本では1910年(明治43年)発行の『教科統合中学音楽(2)』に掲載されました。作詩は杉谷代水です。この曲は、賛美歌としても有名です(いつくしみ深き友なるイエスは・・・)。歌詩はそれぞれ違いますが、世界中の人に愛されている曲です。

  30. 作詩:杉谷代水/作曲:C.C.Converse/編曲:岩河三郎

  31. 灯台守

    この「灯台守」は勝承夫作詩で1947年(昭和22年)『5年生の音楽』に載りました。曲は有名なイギリス民謡です。
    他にも1906年(明治39年)佐佐木信綱が詩をつけたり、1889年(明治22年)に大和田建樹作詩の「旅泊」という曲名で発表されていますが、この勝承夫の詩が現代では最も親しまれているのではないでしょうか。

  32. 作詩:勝 承夫/イギリス民謡/編曲: 岩代浩一

  33. 鎌倉

    この曲は、1910年(明治43年)「尋常小学読本唱歌』に掲載されました。
    今は観光地として賑わう鎌倉ですが、この歌はその昔、この地に幕府が作られてからの様々な史実が歌いこまれています。新田義貞が北条高時を討伐した時の言い伝え、鎌倉の大仏、静御前が源義経を想い舞を舞った話、源実時の暗殺。そして本格的な武士主導の政治を切り開いた源頼朝の墓も時が経てば苔生してしまう、という世の無常を感じ取ることの出来る一曲ではないでしょうか。曲は全部で8番までありますが、ここでは1.2.4.5.7番を歌っています。

  34. 文部省唱歌/編曲:岩河三郎

  35. 真白き富士の根

    この「真白き富士の根」原題は「七里ヶ浜の哀歌」。
    1910年(明治43年)1月23日、逗子開成中学校の生徒11人と逗子小学校の生徒1人の計12人の乗ったボートが七里ヶ浜沖合いで転覆、全員が死亡するという事故が起きました。
    当時鎌倉女学校の教師三角錫子が、19世紀アメリカの作曲家のジェレマイア・インガルスが讃美歌として作曲したものに作詩し、同年2月に発表した哀悼歌です。

  36. 作詩:三角錫子/作曲:J.Ingalls/編曲:岩河三郎
    ※おことわり: 制作当時の構成上、原曲4番の歌詩を台詞として使用しております。

  37. 冬の夜

    この曲は、1912年(明治45)年、「尋常小学唱歌 第三学年用』に発表された曲です。
    寒い雪国の夜、暖かい囲炉裏端での家族の様子を表現しています。燈火、囲炉裏火、縄なう・・・など現代の日本ではなかなか味わえないもの、それらを懐かしく感じられます。

  38. 文部省唱歌/編曲:岩河三郎

  39. こな雪

    この「こな雪」は、満州唱歌(1924年から太平洋戦争終戦にかけて満州で発行されていた『満州唱歌集』・『満州小学唱歌集』『ウタノホン』に収録された歌)の一つ。
    家畜としてロバを使用していたり、娘々廟、タンフォーラ(タンホーラ・3cm位の赤い小さいりんご飴のようなもの)など、当時の満州の様子が垣間見られます。
    初期の頃に作られた「ペチカ」。この曲も、寒い満州地方の家には必ずといってよいほどあったペチカを題材にしたことなどからも、満州唱歌は満州に住む子供たちにより身近なものを織り込んで作ろうとしたことがうかがえます。3番の歌詩は森繁久彌自身の作詩。

  40. 満州小学唱歌(3番森繁久彌)/編曲:岩河三郎

  41. 冬景色

    この曲は1913年(大正2年)、「尋常小学唱歌(五)」に発表されましたが、作詩・作曲者とも不詳のままに歌いつがれている曲です。文部省唱歌は、作詩作曲者不詳のままのものが数多くありますが、この曲もその中の一つです。当時としては平易に書かれたのもですが、現代の子供達には難しい歌詩でしょう。

  42. 文部省唱歌/編曲:岩河三郎

  43. 蛍の光

    この曲は、1881年(明治14年)『小学唱歌集(初編)』に『螢』という曲名で発表されました。『螢の光』の原曲は、スコットランド民謡です。以来、日本では卒業式の歌として定着してきました。また、年の終わりや船の出航の曲として、ほぼ世界中の国で聞くことができます。あまりにも日本で定着しているので、日本の曲と勘違いしている人も多いようです。

  44. 作詩:不詳/スコットランド民謡/編曲:岩河三郎

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