国内アーティスト森繁久彌 こころのうた 白秋 びいどろびんの詩
森繁久彌 こころのうた 白秋 びいどろびんの詩
商品名 森繁久彌 こころのうた 白秋 びいどろびんの詩
発売日 2003年09月30日
商品コード MITO-3006
JANコード 4571117350464
定価(税込) 2,619円
収録時間 44分17秒

まさに森繁白秋。歌を語り詩を歌う。・・・森繁ぶしには風がある。


企画 森繁久彌・東芝音楽芸能出版(株)/構成・音楽 岩代浩一

歌・朗読 森繁久彌・葵 ひろ子、ザ・ヴァイオレッツ


歌詞カード・森繁久彌 年譜付


収録内容


  1. プロローグ~帰去来
  2. 曼珠沙華
  3. 砂山
  4. この道
  5. 阿蘭陀船
  6. からたちの花
  7. 落葉松
  8. ペチカ
  9. 城ヶ島の雨
  10. ビール樽
  11. さすらいの唄
  12. エピローグ

白秋久彌・本来の面目

北原隆太郎

がっしりと結跏趺坐(けっかふぎ)して禅定裡、録音を拝聴し、森繁さんが誠心誠意、ひたむきに、御自身の内なる白秋を語り且つ歌い、多年芸道精進の皮肉骨髄を傾けておられるさまに、私はいま、深く感じ入っている。
白秋を三人称で語りはじめた森繁さんが、いつの間にか、一人称で語っている。つまりは森繁白秋となってしまった。白秋をよそよそしく外に見ないのが大層よい。果して白秋に成りおおせたか、尻尾があるかは、聴くひと自身の判断にまかせる。完全に白秋に成りきることは、白秋自身以外の誰にも不可能とすれば、ここは森繁白秋ということで、これでよい。百億の白秋も、有って然るべきだ。
私、北原白秋の嗣子としては、台本を拝見して、実は困惑もした。白秋晩年の詩歌のように明晰判明に整斉されえないものかと、嘆息した。白秋五十七年の生涯の尨大な作品群の中から、あれもこれもと、盛りこみたい思いは同じだが。
しかし、角を矯めようとして、牛を殺してもなるまい。一筋に貫いている森繁さんの赤心片々たる熱意が何より尊い。どだい白秋をこれだけでまとめるところに無理があり、まとめ尽せぬところに、白秋がいる。よく見ると、一篇一行半句の中にも、いるけれども。
「砂山」を歌っている真最中に、突如、大用(だいゆう)現前、軌則を存せずとばかり、歌い手自身の即興詩が割り込む。自家の胸襟中より流出して、このように自(おのず)からなる独自の活句で原作に唱和することは、地下の白秋も笑って許すだろう。もしこれが真似ごとで自主性を欠く「賛歌」だったら、一喝するだろう。
白秋は言葉に厳しく、芸術的良心が極めて鋭かった。一篇の詩でも、全体の緊密な構成を考え、心頭に調律し、骨身を削る思いで、練りに練って、倦むところがなかった。童謡や歌謡でも、一字一音、おろそかにはしていない。「さすらいの唄」などでも、ノート一冊に、書いては消しして、真黒になるまで、推敲を重ねている。まして作曲のつかない純粋な詩ならなおさら、決して軽く見てはいけない。 詩の形を崩し、章句を断片的に抜き取って、つぎはぎすることは、本来、原作者以外の誰人にも許されていない。「ダンテと鍛治屋」という白秋童謡を想い、作品の純粋性を傷つけまいと念ずる。「阿蘭陀船」は山田耕筰先生の名曲にまさる知音(ちいん)はないが、新たな試みを否むこともない。残るものは残る。
無辺の大衆ともどもに、喜怒哀楽を現じつつ、俗塵に染まりようもない純一無雑の端的に、即今の白秋・久彌・本来の面目があろう。

北原隆太郎

白秋を三人称で語りはじめた森繁さんが、いつの間にか、一人称で語っている。森繁さんが誠心誠意、ひたむきに、御自身の内なる白秋を語り且つ歌い、多年芸道精進の皮肉骨髄を傾けておられるさまに、私はいま、深く感じ入っている。

北原隆太郎・・・神奈川県小田原出身。詩人の北原白秋、菊子の長男。

森繁節讚譜

岩代浩一

下戸でも酒が旨くなる程の軽妙洒脱な味は、もしや関西育ちかと思えば、そこはかとない素朴な雰囲気は東北人の長所とも思え、あの凛々とした男らしさはまぎれもない九州男児とも感じとれ、否小気味良い洒落気と粋は間違いなく生粋の江戸っ子であると頷かせる日本人森繁久彌。若き日、永い年月の大陸漂泊の体験は、高い月謝を支払いながら、日本民族としての確認と反省の反覆の中で島国根性を残らずたたき出してしまったのだろうか。その大らかな風貌には、やがて近き将来今日の社会から殆ど消えてしまうであろうと誰もが心配する「良き日本人像」を見るが故に、尚更憧憬に似た好感を抱いてしまうのかも知れない。何時接しても変らぬ温情溢れる微笑の中に、明治の厳しさや真面目さ、大正の豊かな浪漫、昭和の新鮮な感覚と自由の精神を内包しながらも、令色少なしの人。そこから生れるひとふしは、そこから生れる語りかけは、ひとしく我々の胸を暖め老いも若きも昔も今も、共に生き続けるこころであり、接する者は誰しも日本人であることの快感に思わず胸を熱くするものです。
日本の浪漫を記録しておきたい---これが森繁久彌氏のアイディアであり私の希いでもありました。それなら従来の概念を棄て、レコード盤の一面を一つのテーマで通す構成ものをと欲ばりました。そして飄々雅人森繁久彌演出主演のレコーディングを楽しむ次第と相成りま した。
何と学ぶ事の多かったことか。音楽を志して以来永く続いた音符様との主従関係の契りを破り、音符から離れることの楽しさを心ゆくまで堪能することが出来ました。「間」の貴重さを「休符の息吹き」あらためて感得しました。嘗て私に多くの作曲技法を教えて下さっ恩師、松本民之助先生(芸大教授)が私の習作を見ながら「君は小節線がシューッと音を出すとでも思っているのか」と注意して下さった言葉を今日、強く再認識することも出来ました。
今、船頭小唄がはやった頃の森繁ぶしを思い返すとき、重ねた年輪の歌の素晴しさを見直し、もの哀しくほろにがい味の良さに舌鼓をうち鳴らすのです。昔々、友達と一杯飲めばよく森 繁ぶしを真似し合ったものです。でも今日のそれは容易に真似られぬと感じ入りました。節まわしは自由奔放と見せかけながら、実は歌の内面に工夫を積んだ創意がみなぎり、更にそこには時代と人生が立体化しているからです。
蒙古の草原がありケンタッキーの陽ざしもあります。日本民謡の中にナポリの小節があればロシア民謡のうねりがあり、詩吟と謡曲、浪曲と義太夫、琵琶と都々逸が仲良く手を握り合い、いささかもせずコサックの悲歌も黒人霊歌も日本風に料理し消化してしまうのです。
「歌を語り詩を歌う」ためには体得したベルカント唱法を出し惜しみ、楽譜は常に縦に読み、三千人の客が居てもたった一人に語りかけるのです。だから呉服屋のオヤジさんも小料理屋のオカミさんも感動し、作家や学者先生方も慟哭するのです。客が泣く、そして森繁久彌が泣く。客と感動を共にする氏は申されました。「私の舞台は客がつくってくれる」と。
「詩を歌う」―北原白秋の生涯を辿った「びいどろびんの詩」の冒頭「帰去来」に於ける白秋の声色での朗読は、まるで白秋がこの世に生還したかの様で、まさに森繁白秋。「阿蘭陀船」の阿呆陀羅経風(あほだらきょう)な朗読。情感に満ちた「落葉松」。それぞれの語り味の違いを楽しんでください。
「我々は旋律を如何に味付けするかで苦労する。が、森繁ぶしは最初に心があり、それに旋律をのせ夢を拡げ、素直にごく自然に人生を語っている」―とはディックミネさんの言葉。
「昔、藤原義江。今、森繁久彌」―とは故山田耕筰先生の名言として知られていますが、先生は更に続けて申されたそうです。「私の楽譜を実に巧みにでたらめに歌う。だからこの二人が大好きだ」と。
気軽に一口で森繁ぶしと言いますが、これはある日偶然に生れたものとは考えられません。リンゴの実との出会い以前に於けるニュートンの学力と才能が引力を発見した様に、森繁ぶしも亦、人生の厚みと資質の中で育まれながら開花したのでありましょう。ともかく日本歌謡史上に「森繁ぶし」というひとつのジャンルが残ったのですから、これは大へんな事です。
高級ブランデーをさりげなく愛飲し、一方古びた町はずれの古びたおでん屋の安酒にも舌なめずりを惜しまず、リアリズムをむき出しにせずとも常に真実には厳しく、役者として詩人として、大都会に屹然と活きながら 野趣と粋に富む人のひとふしこそ森繁ぶし。
年輪の必然性をたくましく証明し、貧しい人、悩める人、孤独(うたごころ)の人への詩心は常に暖かい。
・・・・・・森繁ぶしには風がある。

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