国内アーティスト坂本九/ベスト・ヒットセレクション~上を向いて歩こう~
坂本九/ベスト・ヒットセレクション~上を向いて歩こう~
商品名 坂本九/ベスト・ヒットセレクション~上を向いて歩こう~
発売日 2023年09月06日
商品コード MIUM-3164
JANコード 4571117356503
定価(税込) 2,200円
収録時間 76分21秒

多くの人々に希望と感動を与えてくれた、思い出のヒット曲満載!九ちゃんの優しい笑顔と永遠の歌声が蘇る、珠玉のベスト・アルバム。


解説・歌詞カード付
*モノラル
※一部オリジナルマスターテープに起因するノイズ等が有りますがご了承下さい。


収録内容


  1. 上を向いて歩こう*

    1961年10月15日発売

    1961年7月21日、東京・大手町の産経ホールで開催された『第3回中村八大リサイタル』のために作られ、ステージで披露されたのが最初。10月にシングル発売され、NHK『夢であいましょう』の“今月のうた”で10月から11月に亘って紹介されると大ヒットに至った。国内でのヒットから2年後の63年、「SUKIYAKI」のタイトルで世界的なヒットとなって再注目を浴びる。全米1位という日本人初の快挙を達成し、以降も現在に至るまでこの記録は破られていない。国内でも1963年7月に「スキヤキ」のタイトルを加えた新たなジャケットで再プレスされた。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:永六輔 作曲・編曲:中村八大

  2. あの娘の名前はなんてんかな*

    1961年10月15日発売

    シングル盤のローテーションの中で、臨時発売扱いだった「上を向いて歩こう」のB面曲として急遽作られることになった作品。永六輔のアイデアで、身近な女性の名前が歌詞に織り込まれた。[みさ]は渡辺プロの渡辺美佐、[のぶ子]はマナセプロの曲直瀬信子、[まさ子]は六輔夫人の昌子、[いく]は坂本九の母、[てつ子]は黒柳徹子、[すみ子]は坂本スミ子、[かよ]は森山加代子、といった具合で、曲のラストでしっかりオチもつく。坂本も終始おどけた感じで歌うノヴェルティソングとなっている。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:永六輔 作曲・編曲:中村八大

  3. ともだち

    1965年3月5日発売

    喜劇界の大御所であった森繁久彌と伴淳三郎が、小児麻痺患者の少年・少女たちを救うために結成した芸能人チャリティー団体『あゆみの箱』のテーマソングとして発表されたもの。もともとは宮城県の支援学校でベッドスクール歌として制作された曲であった。1965年3月にレコード発売され、同月に日本武道館で開催された『第2回あゆみの箱チャリティーコンサート』で初披露されて反響を呼んだ。同年の第16回NHK紅白歌合戦で歌われ、翌春の第38回選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれた。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:永六輔 作曲・編曲:いずみたく

  4. 一人ぼっちの二人*

    1962年11月1日発売

    「上を向いて歩こう」から約1年後、やはり永六輔と中村八大が作詞と作曲を手がけた、六八九トリオの作品。 1962年11月に公開された日活映画『ひとりぼっちの二人だが』の主題歌として作られ、ほぼ同時にレコードも発売された。映画には坂本九自身も出演し、吉永小百合演ずるヒロイン・ユキの幼なじみ、浅草九太の役を熱演。ミュージカルのごとき華やかなショウのシーンがあるほか、エンディング近くで本曲が歌われる。坂本九の歌声には独特なペーソスがあり、哀愁を帯びたメロディーが実によく似合う。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:永六輔 作曲・編曲:中村八大

  5. 何処かでだれかが*

    1961年10月1日発売

    「九ちゃん音頭 (それが浮世と云うものさ)」のB面曲として、1961年10月に発売。当時坂本が在籍していたパラダイス・キングのリーダー、ダニー飯田が作曲し、放送作家の菅沼定憲が作詞にあたった。青島幸男や河野洋しかり、テレビの黄金時代は番組の構成作家が歌謡曲の作詞を手がけるケースは少なくなかった。賑やかなA面に対して、こちらは坂本にとっては初のソロでのスローバラード。甘く切ない歌声で女性ファンにもアピールした。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:菅沼定憲 作曲:ダニー飯田 編曲:半間巌一

  6. 明日があるさ*

    1963年12月1日発売

    日本テレビ系の音楽バラエティ番組『夢をそだてよう』のオープニングテーマに起用されて人気を博し、さらに番組『明日があるさ』も放送された。意中の女性に恋心を打ち明けられない男子学生の想いをコミカルに描いた青島幸男の詞と、中村八大の曲が見事にマッチングしている。2000年には缶コーヒー「GEORGIA」のCMソングに起用されたことをきっかけに、翌2001年になってリリースされたウルフルズのカヴァー版がヒット。吉本興業所属の芸人によるユニット、Re:Japanのカヴァーも同時にヒットした。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:青島幸男 作曲・編曲:中村八大

  7. サヨナラ東京*

    1964年7月15日発売

    1964年のオリンピック東京大会開催を控え、“東京をテーマにした曲”のひとつとして、開幕3ヶ月前となる7月に発売された。B面の「君が好き」とともに永六輔と中村八大の黄金コンビが作詞・作曲した作品である。坂本はオリンピックのウェルカムパーティーに招かれて歌唱。閉会式で曲が流されたほか、大晦日の第15回NHK紅白歌合戦に出場した際にも歌われるなど、オリンピックイヤーを象徴する一曲となった。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:永六輔 作曲・編曲:中村八大

  8. 題名のない唄だけど(with ダニー飯田とパラダイス・キング)*

    1959年7月22日発売

    1959年7月にビクターから出された、パラダイス・キングのファースト・シングル。 A面「何も何もいらない俺だけど」 はメンバーの増田多夢がフィーチャーされ、B面だった本曲で坂本がソロをとった。あくまでもパラキン名義ながら“唄・坂本九”としっかりクレジットされ、ジャケットの写真でも中心にいる。両面共にリーダーのダニー飯田の作詞・作曲によるナンバーであったが、ヒットすることはなく、幻のプレデビュー盤となった。ビクターから出されたシングルはこの一枚のみ。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞・作曲・編曲:ダニー飯田

  9. レットキス(ジェンカ)

    1966年 9月15日発売

    当初はシングル「皆んなで笑いましょ」のカップリング曲であったが、次第にこちらの方に人気が集中してA面B面が入れ替わった。世代によっては幼稚園や小学校のレクリエーションで踊らされた方も多いはず。作詞は永六輔だが、もともとは日本テレビ系のバラエティ番組『九ちゃん!』から生まれた歌で、原型版の詞は番組プロデューサーの井原高忠氏のペンによるものだった。当初の曲名は「ジェンカ」だったが、途中から曲名を「レットキス」に改めて発売された。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    フィンランド民謡 作曲:Rauno Lehtinen 訳詞:永六輔 編曲:前田憲男

  10. 幸せなら手をたたこう*

    1964年5月15日発売

    後に早稲田大学の名誉教授となった木村利人が、学生時代にフィリピンでボランティア活動をしていた際に耳にした原曲に詞をつけたのが元歌。作詞にあたっては旧約聖書の詩篇47篇を参考にしたという。仲間内の愛唱歌として歌われていたのを偶然坂本九が耳にし、それをいずみたくが採譜してレコード化され、全国的なヒットへと至った経緯がある。編曲の有田怜は、いずみのペンネーム。レコードで歌われているのは6番までだが、日本語の詞は12番まで存在する。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    アメリカ民謡 訳詞:きむら・りひと 編曲:有田 怜

  11. ステキなタイミング*

    1960年10月1日発売

    アラバマ州出身の米国人歌手、ジミー・ジョーンズが歌った「Good Timin'」のカヴァーで、訳詞は漣健児。シングル「ビキニスタイルのお嬢さん」のB面として発売されたが、A面をしのぐ大ヒットとなる。当初は飯田久彦が歌っていた楽曲だったという。時間の関係で新興楽譜出版社 (現・シンコーミュージック) の草野昌一が自ら日本語の訳詞を手がけることとなり、初めてペンネームを用いた作品。ジャケットのクレジットはまだ「漣健児」ではなく、「漣健二」となっている。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞・作曲:Fred Tobias / Clint Ballard Jr. 訳詞:漣健児 編曲:ダニー飯田

  12. カレンダーガール*

    1961年5月1日発売

    ニール・セダカのヒット曲のカヴァー。ガールフレンドに向けてのメッセージを各月の行事をカレンダーガール交えて表現したハッピーなラブソングである。日本ではスリー・グレイセス、ミッキー・カーチスもカヴァーして競作となった。訳詞を手がけた星加ルミ子は、1961年に新興楽譜出版社へ入社して雑誌『ミュージック・ライフ』の編集部に配属。1965年には編集長に就任し、日本人ジャーナリストとして初のビートルズとの単独会見を成功させた。訳詞はほかにもサイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」やカーペンターズ「シング」など。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:Howard Greenfield 作曲:Neil Sedaka 訳詞:星加ルミ子 編曲:ダニー飯田

  13. 悲しき六十才(ムースタファ)*

    1960年8月発売

    レコードは坂本が所属していたダニー飯田とパラダイス・キング名義。ダリオ・モレノらが歌っていた「ムスターファ」のカヴァーとして1960年8月に出されたこの曲は、作詞家 青島幸男の処女作となったばかりでなく、フジテレビの椙山浩一との繋がりで青島を紹介された東芝レコードのディレクター、草野浩二にとっても最初にディレクションを担当した作品となった。さらに青島は「九ちゃんのズンタタッタ」の作詞・作曲を手がけた後、ハナ肇とクレージーキャッツの植木等のデビュー曲となった「スーダラ節」でその才能を一気に開花させる。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    中東民謡 訳詞:青島幸男 編曲:ダニー飯田

  14. 涙くんさよなら

    1965年5月15日発売

    浜口庫之助の作によるスタンダードナンバー。1965年5月にシングル発売された当初は大きなヒットにはならなかったが、9月にジョニー・ティロットソンが英語と日本語でカヴァーして大ヒットさせると、坂本盤にも再び注目が集まった。さらに12月には和田弘とマヒナスターズが、翌1966年4月にはジャニーズがカヴァー(タイトルは「涙くんさようなら」) する競作合戦となり、日活ではジュディ・オング主演で映画化もされた。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞・作曲:浜口庫之助 編曲:橋本光雄

  15. 花咲く街角*

    1962年2月1日発売

    アメリカのシンガーソングライター、デル・シャノンが、デビュー・シングル「悲しき街角」に続けて放った第2弾のカヴァー。原題は「Hats Off to Larry」で、全米5位 全英6位のヒットだった。 坂本九のカヴァーは「戦場に陽は落ちて」のB面曲として、1962年2月にシングル発売された。日本盤はコロムビアの飯田久彦との競作となり、両者ともに漣健児の訳詞。どちらもヒットした。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞・作曲:Del Shannon 訳詞:漣健児 編曲:ダニー飯田

  16. GIブルース*

    1961年1月16日発売

    「砂漠の恋の物語」のシングルB面曲として、1961年1月に発売されたエルヴィス・プレスリーのヒット曲のカヴァー。佐々木功(現:ささきいさお)、かまやつヒロシとの競作となった。訳詞のみすみカズみは、後の安井かずみである。エルヴィスのオリジナルは、1960年に公開された主演映画『G.I.ブルース』(原題:G.I.Blues) の主題歌で、当時のエルヴィスは兵役を終えた直後であったため、軍隊での生活を舞台にした作品となった。坂本九もエルヴィスに憧れてロカビリアンを目指した日本の若者の一人だったのだ。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞・作曲:Sid Tepper / Roy Bennett 訳詞:みけみカズみ 編曲:ダニー飯田

  17. 戦場に陽は落ちて*

    1962年2月1日発売

    ツイストのリズムが大流行していた1962年、アメリカのシンガーソングライターが歌った静かな反戦歌がティーンエイジャーたちの心を揺り動かした。坂本九のカヴァーも心に沁みる熱唱である。オリジナルのリトル・リチャードはロックンロールの創始者の一人で、チャック・ベリーやファッツドミノらと共に、ロックンロールの草分け的なミュージシャンとして知られている。1957年、人気の絶頂期に突如引退を発表し、神学を修めて牧師となるも、5年後にロックシンガーとして復帰。その際に復帰コンサートの前座を務めたのが、無名時代のビートルズであった。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞・作曲:Richard Penniman/ William Pitt 訳詞:渡舟人 編曲:ダニー飯田

  18. 夜明けの唄

    1964年10月5日発売

    岸洋子の代表曲のひとつとして知られているが、最初は1963年に日本テレビ系のドラマ『ぼうや』の主題歌として主演の坂本自らが歌ったものだった。レコードは岸盤が1964年9月、坂本盤が10月に発売されて競作となる。岸盤のタイトルは「夜明けのうた」と表記が異なり、坂本 盤における「僕」の歌詞が「あたし」に置き換えられている。格調高いラブソングとして定着したが、もともとは勤労少年の歌である。作詞した岩谷時子は第6回日本レコード大賞作詩賞を受賞。作曲のいずみたくにとっても代表作のひとつに挙げられる。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:岩谷時子 作曲・編曲:いずみたく

  19. 若者たち

    1968年6月21日発売

    1966年にフジテレビと俳優座の制作で放送されたドラマ 『若者たち』の主題歌として制作され、ブロード・サイドフォーの歌でレコード発売された。当初の題名は「若者たち - 空にまた陽が昇るとき」と記されていた。後に映画化され、『若者たち』、『若者はゆく- 続若者たち-』『若 者の旗』の三部作が作られた際にも主題歌として使用されたスタンダードソング。坂本によるカバーバージョンは1968年6月にシングル発売。1975年12月には英語版「WHY (若者たち)」も発売されている。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:藤田敏雄 作曲:佐藤 勝 編曲:前田憲男

  20. 心の瞳(コーラス入り)

    2017年12月6日発売

    1984年に東芝EMIから独立して発足したレコード会社ファンハウスへ移籍後初のシングル「懐しきlove-song」のB面曲として1985年5月リリース。ヒットメーカー、荒木とよひさと三木たかしコンビの作詞・作曲。結果的にこれが最後のシングルとなった。テーマは夫婦や家族の絆。坂本が由紀子夫人への気持ちを伝える、心温まるラブソングである。合唱曲版は、ラジオ番組で本曲を聴いた中学校の音楽教師が、生徒の合唱のために編曲をして広まり、中学校の音楽の教科書に掲載されるようになった。ここでは新たにコーラスやストリングスを追加して2017年に発売されたコーラス入りヴァージョンを収録。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし 編曲・コーラスアレンジ:川口真

  21. そして想い出

    1979年6月20日発売

    六八九トリオが久々に再会し、リサイタルも開かれた1979年。6月にLP『689』が発売され、アルバム収録曲の「あの時の約束」と本曲をカップリングしたシングルも同時に出された。当時はまだ聾学校でも手話の使用が認められておらず、そのために健常者との本音でのコミュニケーションが取れないことに悩む聴覚障害者の子供が多かったことを憂いた坂本が「手話の歌を作りたい」と永六輔に持ちかけ、世界で初めての「手話で歌うことを前提とした歌」が誕生した。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:永六輔、丸山浩路 作曲・編曲:中村八大

  22. あの日の約束(デュエットwith柏木由紀子)

    2005年10月26日発売

    2004年9月に開催された『坂本九音楽祭』で初披露。1984年頃に録音されていた坂本のヴォーカルに柏木由紀子の歌を重ねて出来上がったデュエットソングである。作詞・作曲は坂本九 自身で、編曲は「心の瞳」を手がけた三木たかし2005年10月に出されたアルバム『CD&DVD THE BEST~上を向いて歩こう』に収録された。その後、柏木と長女の大島花子、次女の舞坂ゆき子とのファミリーコンサートでも歌われ、大切なメモリアルソングとなっている。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:坂本九、荒木とよひさ 作曲:坂本九、三木たかし 編曲:三木たかし

  23. さよなら さよなら

    1967年5月15日発売

    1967年5月に発売されたシングル。中村八大が作曲し、作詞は「バラが咲いた」のヒットでフォーク界のニュースターとなっていたマイク眞木が手がけた。ショウのラスト・ソングとしてよく歌われ、絶賛放映中だった日本テレビ系の公開番組『九ちゃん!』のステージではもちろんのこと、この年11月に渋谷公会堂で開催されたリサイタル『芸人(Showman)その九年目』でも披露され、超満員の会場に歌声が響き渡った。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:マイク眞木 作曲・編曲:中村八大

  24. 見上げてごらん夜の星を*

    1963年5月1日発売

    いずみたくが音楽を担当し、1960年に初演された同名ミュージカルの主題歌として作られた曲。劇中で最初に歌ったのは伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズだったが、1963年の再演の際に坂本九が歌い、レコード化されてヒットに至る。いずみは第5回日本レコード大賞・作曲賞を受賞した。「上を向いて歩こう」と並ぶ坂本の代表作にして、中高生の音楽の教科書にも載るスタンダードソング。日本が誇る指折りの名歌のひとつである。

    【解説】鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

    作詞:永六輔 作曲:いずみたく 編曲:渋谷毅


1941年12月10日、神奈川県・川崎に生まれる。高校生の頃からエルヴィス・プレスリーに憧れ、初めて人前で歌ったのは立川の将校クラブであった。その後、バンド・ボーイを経て、1958年5月に井上ひろしとザ・ドリフターズに加入し、ヴォーカル兼ギターを担当する。同年8月26日には第3回日劇ウエスタンカーニバルにロカビリー歌手として初出演。その年の12月にダニー飯田とパラダイス・キングに加入した。

レコードデビューは、ダニー飯田とパラダイス・キングにとって初のシングル盤となった「何もいらない俺だけど/題名のない唄だけど」で、1959年7月にビクターから発売。坂本はB面でメインヴォーカルを担当している。そして翌1960年8月に、東芝レコードから出された再デビュー盤「悲しき六十才」が初ヒットとなる。さらに「ステキなタイミング」「九ちゃんのズンタタッタ」「カレンダーガール」といったヒット曲が連なり、1961年10月にいよいよ「上を向いて歩こう」が登場。同年4月にスタートしたNHKの音楽バラエティ番組『夢であいましょう』で紹介されて全国的なヒットとなった。7月21日に大手町・産経ホールで開かれた『第三回中村八大リサイタル』で初披露され、8月19日放送の『夢であいましょう』でのテレビ初歌唱を経て、10月・11 月に〈今月のうた〉として紹介されるに至ったのだった。2年後の1963年6月には「SUKIYAKI」としてアメリカのビルボード誌で3週連続1位を記録して世界的に知られる日本の曲となった。

以降も「見上げてごらん夜の星を」「明日が あるさ」「幸せなら手をたたこう」などのヒットを連ね、1964年の第18回オリンピック東京大会の際には「東京五輪音頭」を歌ったり、1970年の日本万国博覧会では吉永小百合とともに万国博委員に起用されて「世界の国からこんにちは」を歌うなど、正しく日本を代表するスターとして活躍する。映画、テレビ、舞台で、またタレントとしては司会業もこなし、あらゆるメディアを席巻した。その中で、「あゆみの箱」運動や、小児麻痺患者のためのチャリティーといったボランティア活動にも積極的に参加し、札幌テレビ放送主催のチャリティーショーに10年間毎年駆けつけたことをきっかけに1976年から札幌テレビの福祉番組『ふれあい広場・サンデー九』に取り組んだ。月に2回の北海道の施設を取材した番組は急逝までの9年間に亘って放送された。

それはとても暑い夏の最中に不意にもたらされた不幸なニュースだった。1985年8月12日、不慮の飛行機事故に巻き込まれ、43歳で天国へ旅立った坂本九。日本のショービジネス界にとってあまりにも大きな損失であった。突然いなくなってしまったスターの喪失感は大きく、早すぎる別れを人々は惜しみ悼んだ。「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」に代表される数々のヒット曲はもちろんのこと、多くの主演映画やテレビ番組で見せてくれた人懐っこく優しい笑顔はいつまでも我々の記憶に刻まれて薄れることがない。日本が世界に誇る不世出の歌手、坂本九の歌声はこれからもずっと愛され続けてゆくことだろう。

プロフィール文:鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

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