落語わたしたちの好きな落語集~目黒のさんま
わたしたちの好きな落語集~目黒のさんま
商品名 わたしたちの好きな落語集~目黒のさんま
発売日 2017年09月20日
商品コード MITE-1025/6
JANコード 4571117354721
定価(税込) 2,750円
収録時間 DISC-1:78分42秒
DISC-2:77分17秒

くすりと笑える滑稽噺と、ほろり泣かされる人情噺で構成した、日常生活の合間にほっとリラックスできる落語集です。

現役の一流陣から中堅落語家による、わかりやすく人気の演目ばかり。


解説付(布目英一)

イラスト・中西らつ子


※一部、今日では不適切と思われる表現を含む作品もございますが、落語の芸術性に鑑みそのまま収録しています。また、録音状態により音質が不安定な部分がございますが、御了承下さい。

収録内容


    DISC-1
  1. ふぐ鍋(28分31秒)二〇〇八年五月録音

     「ふぐは食いたし命は惜しし」という今も昔も変わらぬ万人共通の思いを落語にしています。登場人物が「旦さん」と「大橋さん」なので新作だと思われる方もいると思いますが、明治から昭和前半に活躍した二代目林家染丸が滑稽本「東海道中膝栗毛」の作者として知られる江戸時代の戯作者十返舎一九の「ふぐ汁」を一席にまとめたものだと伝わっています。東京落語にもなっていて、冬になると演じられます。 落語の三要素は「一が落ち、二が弁説、三が仕方」と言われますが、吉弥が演じるこの噺はその三要素を見事に満たしております。おこもさんが二度目に訪れた時点で「落ち」が想像できるとおっしゃる方もいるでしょうが、「おいしいふぐをもっと食べ たくてやってきたのでは」という想像も捨てきれませんし、「落ち」そのものが冒頭のことわざを如実に表しており、卓越しています。また吉弥のユーモアとさわやかさがほどよくまざった弁説(語り)にもひきつけられますし、この録音からも想像できる酒を飲んだり、このわたや鍋を食べたりする仕草や顔の表情(仕方)も噺にいろどりを添えています。

    【解説】布目英一

    桂 吉弥

  2. いらち俥(21分41秒)二〇〇八年七月録音

    「いらち」とは「せっかち」「気が短い」「怒りっぽい」という意味を表す、主に大阪や京都で使われている方言です。この落語の二人目の人力車夫の性格を現しています。東京落語では「反対俥」あるいは「反対車」という題名が使われています。二人の車夫の性格や人力車の引き方が正反対というところから、つけられたのだと思われます。上方落語でも東京落語でも、最初の車夫ののんびりとした様子をじっくり描いた後、二人目のすばしっこい車夫に移って、その対比を印象的に表すことにより、大きな笑いを生んでいます。 染二の口演でも、二人の車夫の違いが鮮やかに描かれています。この録音でその様子はじゅうぶん伝わりますが、まだ実演を御覧になっていない方は実際の高座を見ていただきたいと思います。この落語は見て楽しむようにもできているからです。最初の車夫が体をゆっくりと左右によじらせながら俥を引く様子や二人目のがむしゃらに走る様子などは実演を見ることによって、音からの想像以上のものであることが分かります。また演者によっては二人目の車夫が土管や水たまりを跳び越す様子を座蒲団の上で跳びはねて表す場合もあります。

    【解説】布目英一

    林家 染二

  3. 子は鎹(28分30秒)二〇〇八年六月録音

    鎹は材木と材木をつなぎとめる「コ」の字型のです。ここから「子が夫婦の縁をつなぎとめてくれる」という意味の「子は鎹」あるいは「子は夫婦の鎹」ということわざが生まれました。 落語の「子は鏡」は「子別れ」という長い一席の結末に当たります。酔っ払って吉原に繰り込んだ大工の熊五郎がなじみの遊女のもとに居続けをした挙句に金を使い果たして帰ってきたために女房とけんかになります。女房が子供の亀吉を連れて家を出ていったので、吉原の女と暮らすようになりますが、うまく行かず、その女とも別れ、酒も断って、仕事ひとすじに真面目に過ごすようになり、妻子との離別から三年目に再会を果たします。 都は持ち前の明るさと元気さで、この噺をさわやかな家族再生の一席に仕立てています。細かい説明は省き、手早く物語を進めて行きますが、内容がよく分かるのは明瞭で丁寧な発声をしているからでしょう。男性演者が演じるのとは異なる好感の持てる味わいが生まれています。 熊五郎がまんじゅうを見て涙ぐんだら、「清正公様の申し子か」とからかわれたというのは、加藤清正が毒まんじゅうで暗殺されたといううわさに基づいたものです。

    【解説】布目英一

    露の都

    DISC-2
  1. 目黒のさんま(22分37秒)二〇〇五年十月録音

     「大名のもの知らず」を描いた落語です。大名は世情にうとく、知ったかぶりをするものだと庶民は思っていたようです。落ちの「さんまは目黒に限る」という言葉も、かつては知ったかぶりを表すものとして落語ファンでなくても使っていた言葉でした。しかし、この噺の魅力は脂の乗った旬の焼きたてのさんまに下ろしたての大根が添えられて醤油がかかっているという味覚に訴える卓越した描写にあります。「時そば」や「うどんや」という噺を聴くと、その描写のすばらしさにそばやうどんが食べたくなるのと同様に、この噺はさんまが食べたくなるようにできています。また天高く晴れ渡った秋空のもとの風光明媚な目黒の風景も想像力をかきたてられます。 ある落語家の芸談に、「さんまの脂は獲りたてよりも、半日ほどたった方がおいしくなる、目黒で大名が食べたさんまはその日の早朝に獲れたものであり、まさにその条件通りのもので、さらに畑から抜いたばかりの大根を下したものを添えているのだから、さんまを食べる最も理想的な状況だ」というのがありました。その真偽は定かではありませんが、日頃は家来の毒見を経た冷めた鯛を食べていたと思われる殿様が焼きたてのさんまの味覚に驚喜したのは確かでしょう。

    【解説】布目英一

    古今亭 圓菊

  2. まめだ(16分22秒)二〇〇七年十一月録音

     豆狸と書いて「まめだ」と読みます。子だぬきのことです。道頓堀の芝居茶屋に生まれた脚本家であり、随筆家、演芸作家でもあった三田純市が秋を舞台にした落語が少ないことから、道頓堀界隈の芝居小屋に伝わっていた伝承をもとに書き下ろし新作落語だということです。 マクラで春之輔が言及している「雨がしょぼしょぼ降る晩に豆狸が徳利持って酒買いに」は「酒買い豆狸」というわらべうたで、手まり唄でもあったようです。この歌詞のような風情が残っていた明治の大阪を舞台に落語の「まめだ」は展開します。 歌舞伎役者、初代市川右団次の弟子で、トンボ返り(宙返り)の名手、市川右三郎は三津寺の門前で「びっくり膏」という膏薬を売る母親と二人暮らしをしているという設定になっています。 結末の「折から秋風というやつがさーっと吹いたかと思いますと、真っ青な空から、真っ黄色のイチョウの葉がサラサラサラサラと狸の墓の上へ積もります。『おかん見てみいな。タヌキの仲間からぎょうさん香典届いてるで』」という描写は秀逸で、落ちも見事です。新しい古典落語として今後も多くの落語家によって継承されていくことでしょう。

    【解説】布目英一

    桂 春之輔

  3. 芝浜(38分18秒)二〇〇九年十二月録音 ※三遊亭楽太郎時代の録音です。

    夫婦の愛情を描いた名作です。圓楽は三年後の大晦日の描写にたっぷりと時間をかけています。この演目は昭和の名人、三代目桂三木助の十八番といわれ、現在に至るまで多くの落語家がその演出の影響を受けています。通常は、三年後には店を持ち、若い者も数人使っているという設定になっています。しかし圓楽は裏長屋に住んで行商に行く魚屋のままにしています。三年前と違うのは借金取りが一人も来ないという点だけです。これについて、「三年で表通りに店を構えるまで稼げるとは思いませんから」と圓楽は述べていますが、それだけではなく、拾った四十二両を効果的に使う方法を創出しています。大家さんの世話で表通りの空きだなに店を持ち、若い者も二、三人使うことができると女房に語らせています。それを聞いた勝五郎はさらに商売に精を出そうと新年を目の前にして前向きな気持ちになっています。この工夫は他の落語家には見られない圓楽独自のものです。 亭主の心の底を見通しながら本音を伝える女房の言葉をしっかりと受け止める勝五郎の姿に、長年連れ添った夫婦の情愛を感じ取ることができます。 

    【解説】布目英一

    六代目 三遊亭 圓楽



プロフィール


【桂 吉弥】

二〇〇七年のNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」で落語家徒然亭一門の一番弟子徒然亭草原を演じていたのをご存じの方も多いと思います。草原は気が弱くて憎めない、親しみを感じる人物でした。ご本人も気さくな方です。現在は土曜の昼に放送している「生活笑百科」などに出演していますが、明るくて楽しい姿が拝見できます。その姿を見たさに、この番組を欠かさずに御覧になっている方も多いと思います。演じる落語も明るさに満ちています。それにきれいです。若くして亡くなった師匠の桂吉朝も品のある美しい高座を見せてくれました。その芸風がとてもよい形で継承されております。見た目の美しさだけでなく、声もよく、唄声にも魅力があります。早くから頭角を現し、芸術選奨文部科学大臣新人賞、文化庁芸術祭新人賞など多くの賞に輝いています。 独演会は売り切れ続出。特に女性客に人気があります。上方落語家ではありますが、活動は関西にとどまらず、全国規模。東京でもかなりの頻度で公演を見ることができるのはありがたいことです。これからの落語界をけん引する人物です。



【林家 染二】

エネルギッシュで陽気な芸風で関西だけでなく、関東でも人気の高い落語家です。二代目林家染二(当代林家染丸)に一九八四年に入門し、一九九七年に染丸の前名 染二を襲名しています。NHK新人演芸大賞優秀賞受賞など受賞歴も豊富です。文化庁芸術祭では上方落語界において最短の芸歴で新人賞を飛び越えて優秀賞を一九九八年に受賞しています。さらに二〇〇四年には二度目の文化庁芸術祭優秀賞を受賞しています。 滑稽噺、音曲噺、芝居噺、人情噺、創作落語と芸域も広く、特に人情噺では人の心の温もりを丁寧に描いて高い評価を得ています。また染二の描く女性には艶があその芸風にひかれるファンも多くいます。歌舞伎好きとしても知られ、「三代目 市川猿之助歌舞伎ワークショップ」では、道頓堀の中座で、お家乗っ取りをはかる悪役仁木弾正を演じて猿之助賞を受賞しています。演目によって、笑いも人情も描き分けてみせ、次代を担う実力派として嘱望されています。また公益社団法人上方落語協会理事でもあり、繁昌亭の運営にも携わっています。今後がさらに楽しみな逸材です。



【露の都】

明るく元気な女性落語家です。一九七四年に露の五郎(後に露の五郎兵衛)に入門し、女性落語家の草分けとして東西で活躍を続けています。今でこそ東西合わせて五十人ほどの女性落語家がいますが、入門後、八年間は唯一の女性落語家でした。落語は男性が演じやすいように作られている芸なので女性には不向きだと言われた時代に女性ならではの味わいを生かした芸風を確立させました。現在は人情噺、滑稽噺、芝居噺、創作落語とさまざまな内容の落語を演じています。また自身の結婚、出産、離婚、再婚。自分の二人の子どもと再婚相手の四人の子ども、計六人の子育てなど私生活での奮闘ぶりや身のまわりで起こった出来事を女性目線で明るく語る噺は「みやこ噺」と呼ばれて、ファンの人気を集めています。このような研鑽の結果、二〇一〇年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞しています。 さらに、こども落語教室をはじめ、各地で落語教室の講師を務めたり、数少ない母親落語家としての半生を語る講演活動を行なったりと幅広い活動を続け、七人もの女性落語家を育てています。 前向きに明るく生きるその姿勢とその芸により、東西に根強いファンが生まれています。



【古今亭 圓菊】

体をよじり、口元に手を当てるコミカルな仕草、圓菊節とも呼ばれた独特なイントネーション。古今亭圓菊の特色といえば、まずこの二点をだれもが挙げるでしょう。実は圓菊節はなまりを克服しようとして生まれたものだそうです。欠点をだれにも真似ができない長所に変えたのです。たやすいことではありません。 真打になりたての頃は、病気だった師匠古今亭志ん生をおぶって献身的な世話をしたご褒美で真打にさせてもらった「おんぶ真打」だと陰口をたたかれました。その悔しさをバネにして先人のコピーではなく、圓菊ならではの芸を作り上げました。その芸にひかれる落語家志願者も多く、十三人の弟子を育てています。さらに弟子たちに「評価を受ける落語家になるように精進しろ」と助言もし、多くの弟子が文化庁芸術祭に参加して賞にも輝いています。 晩年は今まで以上に芸に軽さが出てきて、志ん生を思わせる味わいが醸し出され、ファンをとりこにしました。特に「唐茄子屋政談」は絶品で、笑わせたり、しんみりさせたりして堪能させました。二〇一二年の秋、八四歳で逝去されています。



【桂 春之輔】

男気のある人物として知られています。上方落語協会を脱会していた桂ざこばが協会に復帰したのは春之輔の説得によるものでした。また恐喝未遂を起こした弟弟子が春団治一門から破門され、上方落語協会からも除名された時、落語家として再起させたいと一人で手を差し延べ、付き人として預かって再修業をさせました。また、大阪市が文楽協会への補助金削減を表明した時には文楽に関連のある落語を演じ文楽の魅力を伝える「文楽応援の落語会」を立ち上げ、現在も続けています。 このような人情味あふれる人柄は今回収録の落語「まめだ」にもよく表れています。いたずらが過ぎて命を落とした子狸を人々が哀れむという民話の香りのする人情噺ですが、春之輔の人となりがにじみ出た語りは情感豊かで、ほろりとさせられます。また「親子茶屋」では師匠三代目春団治ゆずりの明るく華やかで艶のある上方情緒が味わえます。 上方落語協会副会長として、桂文枝会長を支えて協会運営に当たっています。協会直営の落語専門の寄席天満天神繁昌亭が開場十年の節目を迎えるとともに、神戸に新たに寄席が設立される動きも進んでいます。



【六代目 三遊亭 圓楽】

毎年秋に東西の人気落語家が数日にわたって複数の会場で落語会を開く「博多・天神落語まつり」のプロデューサーでもあります。このお祭りは二〇〇六年から始まり、すでに十年がたちました。夢のような落語会が続くので九州の落語ファンだけでなく、全国のファンが注目するイベントになっています。 テレビ番組「笑点」メンバーとして楽太郎時代から全国的な知名度があり、多数のテレビやラジオ番組に出演していますが、本業の落語を常に活動の中心に置き、精力的に独演会を催しています。風邪で熱を出した弟子が「今日は師匠のお宅にうかがえません」と連絡したところ「仕事に穴をあけたら皆様に迷惑をかけてしまうので、私は風邪で休むこともできない」とつぶやいたという逸話があります。 落語の本題に入る前のトークをマクラといいます。世相や政治について笑いをまぶしながら鋭く切り込む圓楽のマクラは明快で説得力があります。その視点は落語の表現にも生かされており、江戸や明治が舞台の噺でも分かりやすく伝えてくれます。そして滑稽噺では痛快な笑いを、人情噺ではしみじみとした感動を与えてくれ ます。

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