ワールドミュージック煌めきのムード・ミュージック~夜霧のしのび逢い~
煌めきのムード・ミュージック~夜霧のしのび逢い~
商品名 煌めきのムード・ミュージック~夜霧のしのび逢い~
発売日 2023年11月08日
商品コード MIVE-4298
JANコード 4571117356626
定価(税込) 2,200円
収録時間 67分36秒

魅惑と哀愁の旋律が全編を彩る至福のひととき。クロード・チアリ、ニニ・ロッソ、マンシーニたちが繰り広げる永遠の名曲集。


解説付

収録内容


昨今の昭和レトロを振り返る番組や記事の多い中で、音楽にも当然熱いスポットライトが注がれている。とりわけ洋楽は判り易く分類されるジャンル。昭和真っ只中の1960~70年代(昭和35~45年代)の映画と言えば、「ティファニーで朝食を」「男と女」「ある愛の詩」「ゴッドファーザー」、ポピュラー音楽では「白い渚のブルース」「星空のブルース」など、欧米から生き生きとしたサウンドが怒涛の如く押し寄せて来たことは、欧米でも戦後の音楽文化爛熟期であった証左であると言えます。

このCDは洋楽ポピュラーの老舗(レコード会社、又は制作者)から当時続々誕生したヒット曲を厳選して収録、その黄金期の資料として今後末永く保管できる価値ある作品です。

【執筆】脇田信彦


  1. 夜霧のしのび逢い/クロード・チアリ

    ベルギーのバンド、ロス・マヤスが放ったヒット曲「浜辺」を、クロード・チアリがルンバ調でダンサブルに演奏、オリジナルをはるかに上回る大ヒットとなり64年フランスのACCディスク大賞に輝く。日本では翌年に公開された映画「夜霧のしのび逢い」の随所にこの楽曲がBGMとして使用され、曲名も映画名と同じになったわけです。67年のチアリ初来日時には、映画のテーマ曲とはつゆ知らず、ご本人は大分混乱したもよう。ただこの曲のお陰で映画も大当たり。63年ギリシャ作品。監督のヴァシリス・ジョルジアディスも後になってそれを知り大喜びだったそう。

    【解説】脇田信彦

    LA PLAYA (J.V.Wetter)...CLAUDE CIARI

  2. 男と女/クロード・チアリ

    66年フランス作品。監督:クロード・ルルーシュ、出演:アヌーク・エーメ他、音楽:フランシス・レイ。妻が自殺してしまったレーサーと、交通事故でスタントマンの夫を亡くした女が、お互いの子供を通して魅かれあっていく物語。カンヌ映画祭グランプリ獲得。以降ルルーシュとレイは「白い恋人たち」「パリのめぐり逢い」他何作も手掛けることになった名コンビ誕生の記念碑的作品です。ボサ・ノバ調ダバダバダの歌はポピュラー音楽界に多大な影響を与える。同年日本公開。

    【解説】脇田信彦

    UN HOMME ET UNE FEMME (F.Lai)...CLAUDE CIARI

  3. ある愛の詩/リチャード・クレイダーマン

    70年アメリカ作品。監督アーサー・ヒラー、出演ライアン・オニール、アリ・マックグロー他、音楽フランシス・レイ。映画のキャッチフレーズ“愛とは決して後悔しないこと...”と共に映画と音楽が爆発的に当りました。不治の病のため25歳で世を去った女性との悲しくも美しい恋愛劇。音楽は、それまではフランス映画中心に携わってきたレイが始めてハリウッド映画に挑戦。ピアノコンチェルト風の典雅でドラマティックな主題曲はアカデミー・オリジナル作曲賞を獲得。そして泣ける易しぃ歌詞“Where do I Begin”が付けられ、アンディ・ウィリアムス他多くの歌手に歌われヒットが倍加。

    【解説】脇田信彦

    UNE HISTOIRE D'AMOUR, THEME from "LOVE STORY" (F.Lai)...RICHARD CLAYDERMAN

  4. ゴッドファーザー愛のテーマ/ニニ・ロッソ

    72年アメリカ作品。監督:フランシス・フォード・コッポラ、出演:マーロン・ブランド、アル・パチーノ他、音楽ニーノ・ロータ。45年終戦時のアメリカ社会を悩ませていたイタリア・マフィアの巨大な闇の世界を、小説家マリオ・プーゾの同名小説をもとに作られた映画。この「愛のテーマ」は歌のないサウンドトラック盤も大ヒット。さらに“Speak Softly Love”という詞がついてアンディ・ウィリアムス他多くの歌手に歌われ、こちらも大ヒット。

    【解説】脇田信彦

    LOVE THEME from "The Godfather" (Nino Rota)...NINI ROSSO

  5. 夕焼けのトランペット/ニニ・ロッソ

    ニニ・ロッソのデビュー曲。ソロ・デビュー以前は、バンド・メンバーとしてテレビのレギュラー番組に出演。ある時番組の主役が遅刻、穴を埋めるためにピンチヒッターとして歌って演奏したのがこの楽曲。その反響はすさまじく視聴者からの問い合わせが殺到、急遽シングル盤として発売される。歌手として出たのでトランペットは間奏のみです。仲間のFビサーノがロッソのために書き下ろしたもの。

    【解説】脇田信彦

    BALLATA DELLA TROMBA (Francesco Pisano)...NINI ROSSO

  6. ムーン・リヴァー/ヘンリー・マンシーニ

    トルーマン・カポーティの小説をもとに、監督ブレイク・エドワーズ、出演オードリー・ヘプバーン他によって61年に製作されたアメリカ映画の挿入歌。作詞のジョニー・マーサーとヘンリー・マンシーニ作曲による大ヒット曲。ニューヨークの同じアパートに住む根なし草のような若い男女の恋愛を爽やかなタッチで描いている。ヘプバーンが一躍大スターになった作品で、劇中彼女が歌っていたこの曲は同年のアカデミー歌曲賞、そしてグラミー賞最優秀楽曲の栄誉に輝いています。

    【解説】脇田信彦

    MOON RIVER (J.Mercer H.Mancini)...HENRY MANCINI

  7. 慕情/101ストリングス

    55年アメリカ作品。監督:ヘンリー・キング、出演:ジェニファー・ジョーンズ、ウィリアム・ホールデン他。朝鮮戦争当時の香港を舞台にした、中国人女医とアメリカ人従軍記者とのラブ・ストーリーは、サミー・フェインが書いたこのテーマ曲との相乗効果もあり完成度の高い作品となる。公開と同時に様々なアーティストが取り上げ、中でもフォア・エイシスのコーラスによるシングル盤が全米1位の大ヒット。同年のアカデミー歌曲賞を受賞しました。

    【解説】脇田信彦

    LOVE IS A MANY SPLENDORED THING (S.Fain P.F.Webster)...101 STRINGS

  8. 白い渚のブルース/パーシー・フェイス

    61年に放送された、BBCの子供向けテレビ番組“Stranger on the Shore”のテーマ曲としてクラリネット奏者のアッカー・ビルク自身が作曲。子供の頃に傷を負った指のハンディを逆に生かした奏法で大ヒット。翌年には英国は勿論全米でも1位を記録。彼の楽団は以降一躍人気バンドとなりました。

    【解説】脇田信彦

    STRANGER ON THE SHORE (A.Bilk)...PERCY FAITH

  9. 酒とバラの日々/ヘンリー・マンシーニ

    62年アメリカ作品。監督:ブレイク・エドワーズ、出演:ジャック・レモン、リー・レーミック他。夫婦そろって飲酒に明け暮れたあげく、住む家も失ったというシリアスなストーリー。作詞ジョニー・マーサーと作曲のヘンリー・マンシーニという名コンビによる、6曲目「ムーン・リヴァー」に続いてアカデミー主題歌賞受賞。ジュリー・ロンドン、フランク・シナトラ、ペリー・コモ他が競って歌い、あっという間にスタンダード曲になりました。

    【解説】脇田信彦

    DAYS OF WINE AND ROSES (J.Mercer - H.Mancini)...HENRY MANCINI

  10. ふたりの天使/ダニエル・リカーリ

    70年、独自のイージー・リスニング音楽を作り上げたフランスのオーケストラ・リーダー兼作曲家、サン・プルーが書いた曲。原題の意味は“一声の為の協奏曲”。ダニエル・リカーリのスキャットとストリングスのピチカートが織りなす自然でシンプルな現代的バロック風アレンジが受け、日本でも大ヒットしました。

    【解説】脇田信彦

    CONCERTO POUR UNE VOIX (S.Preux)...DANIELLE LICARI

  11. シバの女王/レイモン・ルフェーヴル

    チュニジア生まれ、フランスで活躍したシンガー・ソングライター、ミッシェル・ローランが67年に放ったヒット曲。しかし同じころに録音されたルフェーヴル盤の方がフランスはもとより広く全世界で大ヒットする。日本では69年に発売され、オリコン・ヒット・チャートTOP100に110週も登場。21世紀の現在も洋楽シングル盤としては誰もその記録を更新できていません。

    【解説】脇田信彦

    LA REINE DE SABA (Michel Laurent)...RAYMOND LEFÈVRE

  12. 星空のブルース/ニニ・ロッソ

    ドイツのクラウス・ギュンター・ノイマンが59年に作曲、チャーリー・タポールのトランペットを前面に出したベルト・ケンプフェルト楽団の演奏が世界的な大ヒットとなる。ヨーロッパ、アメリカ(61年に全来No.1ヒット)、日本・・・とヒットの輪は広がって、現在ではトランペットの定番曲の一つになっています。

    【解説】脇田信彦

    WONDERLAND BY NIGHT (Klaus Günter Neumann)...NINI ROSSO

  13. 渚のアデリーヌ/リチャード・クレイダーマン

    リチャード・クレイダーマンのプロデューサー、ポール・ド・センヌヴィルが彼のために76年に書いた作品。その作曲方法とは、思いついた旋律を口笛やハミングでカセットに録音、後に譜面に残すやりかた。フランス語タイトルの意味は“アデ リーヌ(自身の娘の名前)の為のバラード”。ヨーロッパでは主にテレビのBGMとして流れたことから77年に大ヒット。日本でもやはりBGMとして流れるたびに問い合わせが続き、78~80年に長期間静かなヒットとなりました。

    【解説】脇田信彦

    BALLADE POUR ADELINE (P.de Senneville)...RICHARD CLAYDERMAN

  14. シェルブールの雨傘/ダニエル・リカーリ

    64年フランス西ドイツ合作。監督:ジャック・ドゥミュ、出演: カトリーヌ・ドヌーヴ他。台詞一切なしの全編音楽でまとめられた、いわばオペラのようなミュージカル映画からの主題曲。シェルブールにある小さな傘屋の娘と自動車整備工。若い二人に展開する悲しい愛の物語。約90分の映像に全ての音楽を書いたのが奇才の誉れ高いミシェル・ルグランでした。そして全ての歌詞はジャック・ドゥミュ。俳優たちは歌の素人故プロ歌手たちによって吹き替えられる。ドヌーヴ役がスタジオ・シンガーとして名を馳せていたダニエル・リカーリ。映画の大ヒット以降“I Will Waite For You”の英詞が付いて多くの歌手が歌っている。

    【解説】脇田信彦

    LES PARAPLUIES DE CHERBOURG (M.Legrand-J.Demy)...DANIELLE LICARI

  15. いそしぎ/101ストリングス

    65年アメリカ同名映画からのテーマ。監督:ヴィンセント・ミネリ、出演:エリザベス・テイラー、リチャード・バートン他、音楽:ジョニー・マンデル。米西海岸の海辺に住む女流画家と、その息子が通う神学校の校長との罪深い愛の物語。ポール・フランシス・ウェブスター作詞によるこの曲は、ジャズ畑出身のマンデルならではのもの憂い旋律と上手く絡み大ヒット、見事アカデミー主題歌賞に輝きました。

    【解説】脇田信彦

    THE SHADOW OF YOUR SMILE (J.Mandel P.F.Webstar)...101 STRINGS

  16. 追憶/101ストリングス

    73年アメリカ作品。監督:シドニー・ポラック、出演:バーブラ・ストライザンド、ロバート・レッドフォード他。40年代の社会背景の影響を受けた政治信条の違う男女の出会いと結婚。そしてやがて来る二人の亀裂が描かれた作品。主演のストライザンドが歌ったこの曲はマーヴィン・ハムリッシュによって書かれ、作詞はヒット・メーカーのバーグマン夫妻が書いたもの。アカデミー主題歌賞を受賞、ビルボード誌74年シングル年間ランキング第1位を記録しました。

    【解説】脇田信彦

    THE WAY WE WERE (A.Bergman M.Bergman M.Hamlisch)...101 STRINGS

  17. 真夜中のブルース/ベルト・ケンプフェルト

    57年のドイツ映画「朝な夕なに」の主題曲で、音楽監督であるフランツ・グローテが作曲。学園を舞台にした青春映画だが、劇中青年の死とその埋葬シーンにトランペット演奏が印象的に流れ、多くの人の心を掴むも、何故か映画は全く当たらず楽曲のみの独り歩き。翌年に日本でも公開されるもやはり音楽はラジオ番組のチャート独占状態が続くも劇場は閑散。この曲の大ヒット以降「○○○のブルース」ブームの到来となりました。

    【解説】脇田信彦

    MIDNIGHT BLUES (F.Grothe - W.Dehmel)...BERT KAEMPFERT

  18. 星のセレナーデ/リチャード・クレイダーマン

    84年アメリカ作品。監督:チャールズ・シャイア、出演:ドリュー・バリモア、ライアン・オニール他。9歳の少女が両親と縁を切りたいというコメディ映画「ペーパー・ファミリー」のテーマ曲として使用され、“ハーモニー”という曲名が付く。クレイダーマンはこの頃全米でも注目され映画会社もその勢いに乗ったわけです。ナンシー・レーガン大統領夫人から“ロマンスの王子”と絶賛されたそう。いまや“渚のアデリーヌ”と並んでピアノ練習の定番曲。

    【解説】脇田信彦

    SERENADE DE L'ETOILE (COUP DE COEUR) (P.de Senneville)...RICHARD CLAYDERMAN

  19. ブルー・レディに赤いバラ/ベルト・ケンプフェルト

    48年にシド・テッパーとロイ・ベネットが書いた作品。翌年にバンド・リーダー兼歌手のヴォーン・モンローが歌い全米で3位のヒット。その後、65年にヴィック・ダナの歌で10位、ベルト・ケンプフェルトの演奏で11位、ウェイン・ニュートンの歌で23位とリバイバル・ヒット。日本ではアンディ・ウィリアムス盤が大ヒットしたという生命力がとても強くて長いスタンダード曲です。

    【解説】脇田信彦

    RED ROSES FOR A BLUE LADY (Tepper - Bennett)...BERT KAEMPFERT

  20. 黒いオルフェ/クレバノフ

    59年フランス・ブラジル・イタリア合作。監督:マルセル・カミュ、出演:ブレノメロ他。別題「カーニバルの朝」とも呼ばれるこのテーマ曲はブラジルのギタリストのルイス・ボンファの作品。リオのカーニバルを背景に描かれた恋愛劇で音楽満載のこの映画によって、サンバが世界に広まったという歴史的傑作。アントニオ・カルロス・ジョビンもメロディを多々提供、ここからボサノバ(新しいサンバ)の幕開けとなりました。

    【解説】脇田信彦

    ORPHEUS NEGRO (Luiz Bonfa)...CLEBANOFF

  21. モア/マントヴァーニ

    61年イタリア・ドキュメンタリー作品。監督:グァルティエロ・ヤコペッティ、音楽:リズ・オルトラーニ。世界の野蛮で残酷な奇習風俗を描いた記録映画からの主題歌だが画面の中では音楽の印象が薄い作品。アメリカ公開時にノーマン・ニュウエルが英詞を付けたこの楽曲は多くの歌手や楽団が取り上げ大ヒットするや、映画もつられて大ヒット。マントヴァーニ・オーケストラの十八番でもあります。

    【解説】脇田信彦

    MORE (Oliviero Ortolani - Ciorciolini)...MANTOVANI

  22. 夜空のトランペット/ニニ・ロッソ

    作者不明のイタリア軍消灯ラッパのメロディに、65年、ニニ・ロッソがオリジナル旋律とセリフを足して作り上げた大傑作。イタリアでは6週間連続No.1の大ヒット。以降欧州から北米南米アジアと広がり2年間で1500万枚シングル盤が売れたという。トランペッター、ニニ・ロッソ誕生の曲。洋の東西ジャンルを問わず、この曲にほれ込んでトランペット奏者になったプロ・アマは数多いと言えます。

    【解説】脇田信彦

    L SILENZIO (P.D. / Arr.:Guglielmo Brezza N.Rosso)...NINI ROSSO

*オーケストラ名は略しております

Profile

執筆:脇田信彦

クロード・チアリ (1944-)

フランスのニース生まれ。11歳の時、両親からクリスマスにプレゼントされたギターを生まれて初めて手にする。そのギターを独学で習得。16歳で仲間とロック・バンドを結成、“レ・シャンピオンズ”のリーダーとして活動開始。忽ちヨーロッパで人気バンドとなる。20歳でチアリは派手なロック・サウンドとは違った評価を得るためエレキ・ギターからアコースティック・ギターに持ちかえソリストとして活動を始める。その最初のシングル盤「ラ・プライヤ (浜辺) 」の大ヒットで“哀愁のギタリスト”とよばれるようになる。パテ・マルコニー・レーベル(現ワーナー)を通して全世界に広がったために各地での公演に大忙し。85年からは日本を拠点として活動を続けています。

リチャード・クレイダーマン (1953-)

リチャード・クレイダーマン (本名:フィリップ・パジェス)は、フランス・パリ郊外のロマンヴィル生まれ。音楽の先生をしていた父親の影響で小さい頃からピアノを自然と弾き始める。才能を伸ばすべく音楽専門学校(コンセルバトワール)に入り正式にピアノを習い始めると、とんとん拍子に上達して16歳の若さで首席卒業。周りの誰もが一流クラシック・ピアニストの道を信じていたが、家庭の財力が十分でなかったようで、仲間とロック・バンドを組むも稼ぐのは難しい。一方スタジオ・ピアニストとしては引っ張りだこ。この路線変更は彼にとって後に幸運をもたらす重要な岐路であった。
丁度同じ頃、フレンチポップス界の名プロデューサー、オリビエ・トゥッサンとポール・ドセンヌヴィルが、ディスコ・サウンドが跋扈していた75年頃、正反対の心休まる音楽制作を模索していた中で、フィリップ・パジェスの噂は当然彼らに届く。会ってみるとひたすらに鍵盤に向き合い、一音一音丁寧に詩情豊かに演奏している姿にスター性を感じ取った二人は即決で契約。そして出来上がった最初のシングル盤が「渚のアデリーヌ」、76年の事。パリのデルフィン・レコードから発売されたこの曲、当初の反響はあまり強いものでは無かったよう。しかしドイツでは翌77~78年にかけてドラマのテーマやBGMとして使われたことから大ヒット。その勢いは瞬く間に全ヨーロッパに広がる。80年に入ってやっと逆輸入でフランスでも大ヒット。日本では78年にデビュー、80年7月には全国ツアーを開始。以来現在に至るまで日本公演を行っています。

ニニ・ロッソ (1926-1994)

イタリアのトリノ生まれ。幼いころから音楽が大好きで、物心が付いた時にはブラス・バンドでトランペットを吹きメキメキと頭角を現したそう。18歳の時には自分のバンドを結成、アメリカのルイ・アームストロングが大好きでディキシーランド・ジャズを主なレパートリーにしていたそう。クラブなどで演奏、それが評判を呼び今度はテレビやラジオ出演。54年に幸運到来。映画監督フェデリコ・フェリーニと作曲家ニーノ・ロータはトランペッターを10人集め、新作映画の音楽のためのオーディションを開催。トップバッター、ニニ・ロッソの演奏があまりにも素晴らしかったので、残りは演奏の機会もなく帰された。こうして出来上がったのが映画「道」の主題曲「ジェルソミーナ」だった。その後「太陽がいっぱい」のトランペットも担当、以降はとんとん拍子の活躍で67年には初来日、以降93年まで殆ど毎年日本公演を行っていました。

ヘンリー・マンシーニ (1924-1994)

オハイオ州クリーヴランドで生まれでペンシルバニア育ちのイタリア系。幼い頃から音楽好きの父の影響でフルート、ピッコロやピアノを学ぶ。高校を卒業後ニューヨークに居を構え、名門ジュリアード音楽院で本格的に学ぶ。46年には憧れていたグレン・ミラー楽団のピアニスト兼編曲者に就任。51年にユニヴァーサル映画の音楽部へ入社。「グレン・ミラー物語」で音楽担当、アカデミー賞にノミネートさる。その後「ティファニーで朝食を」「酒とバラの日々」「シャレード」「ピンクの豹」他数々の映画に音楽を提供。ハリウッド映画界には欠かせない作曲家となりました。

101ストリングス・オーケストラ

1957年、ドイツのハンブルクでハンブルク交響楽団のメンバーを中心に、英国のミラー・インターナショナル社が結成。目的は映画音楽、ポピュラー・ヒット曲からクラシック音楽や民族音楽までの幅広いジャンルを、弦楽器を中心に据えたアレンジで、より聴き易い音楽を世界に贈り届けること。初代指揮者ウィルヘルム・シュテファン、編曲者モンティ・ケリー、ロバート・ローデンやヨーゼフ・カーンなどが参加した壮大なプロジェクト。名前の通り101名の弦楽器奏者に木管金管パーカッションその他を加えると140名を有に超える世界最大のオーケストラとなります。

パーシー・フェイス (1908-1978)

カナダ・トロント生まれ。将来はクラシック音楽のピアニストになろうとレッスンに励み、才能が認められ地元の由緒あるマッシー・ホールでのコンサートを行うレベルまで到達。18歳の時、両手に火傷を負う事故に遭い夢を断念。目標を指揮、作、編曲者へと切り替え、地元カナダの放送局で働く。40年にはその評判を聞いたアメリカのNBC放送局から呼ばれ人気音楽番組の有名指揮者の代役で出演。高評価を得てそのままレギュラーに抜擢される。50年、当時人気合唱団のリーダーであったミッチ・ミラーに請われてCBSレコードのチーフ・マネージャーに就任。ここでドリス・デイ、トニー・ベネット、ローズマリー・クルーニーなどの人気歌手を育て、同時に自分の名を冠したオーケストラ活動もスタート。美しいストリングス中心の演奏とハイセンスな編曲がかもし出すロマンティックなサウンドでファンを獲得。付けられたニック・ネームは、男性なのに“ロマンスの女神”でした。

ダニエル・リカーリ(1936-)

ドーバー海峡に面したフランスのブーローニュ=シュル=メールで生まれる。6歳でピアノを始めるも同時に聖歌隊での活動に重きをおき、12歳でクラシック・オーケストラの合唱団でも活動。初めての録音は8人の混声合唱のメンバーとして“パリで旅行するアーティストたち”というグループ名でフィリップスから発売される。その後23歳ぐらいからはディズニー映画の吹き替えなど、スタジオ・シンガーとして活躍。63年に運命的な出会いがあった。映画監督ジャック・ドゥミュと作曲家のミシェル・ルグランによる“シェルブールの雨傘”が彼女の今日を作ったと言えます。

レイモン・ルフェーヴル (1929-2008)

ドーバー海峡に面したフランスのカレーで誕生。音楽好きの父親の影響を受けてルフェーヴル自身も5歳の時からピアノ、後にフルートも習い始める。46年クラシック・アーティストを目指してパリ国立音楽院に入りピアノ、フルートと楽理を学ぶも、ピアノ演奏、編曲の仕事が舞い込み結構な売れっ子になる。世界の若者が憧れるパリ音楽院を卒業することなく21歳の時、フランスの音楽界を席巻していたクラリネット奏者のユベール・ロスタンが率いるジャズ楽団にピアニストとして迎え入れられ音楽人生のスタートとなる。将来を決定づけた運命的な出会いはそれから数年経った時、フランク・プウルセル楽団に入ったこと。既に彼のダイナミックで繊細な編曲術はパリの楽壇からは一目置かれた存在であったが、卓越したヴァイオリン奏者であるプウルセルから直接弦楽器の特性を手取り足取り学んだことが、後のルフェーヴル・サウンドの誕生につながる。
56年には念願のグランド・オーケストラを創設。58年には「雨の降る日」がビルボード誌のチャート最高位30位、68年には「バラ色の心」が再び全米のチャート最高位37位。日本でもこのあたりからレイモン・ルフェーヴル楽団の動きに注目が集まるようになり、翌69年に「シバの女王」の大ヒットが生まれ本格的なルフェーヴル・サウンドが世界に広まったわけです。

ベルト・ケンプフェルト (1923-1980)

ドイツのハンブルク出身。ポリドール社で音楽プロデューサーとして活躍中の61、62年、まだ無名のビートルズを制作。そのレコードが後に英国EMIでのデビューのきっかけとなったほど耳と感性は肥えていた。47年に自身の楽団を結成。日本では58年に「真夜中のブルース」、60年に「星空のブルース」がヒット。以降「○○のブルース」という題名の流行につながった。自身はトランペットを吹きません。

マントヴァーニ (1905-1980)

イタリアのヴェニス生まれ。ミラノ・スカラ座管弦楽団のコンサートマスターであった父の影響で幼い頃からヴァイオリンを学ぶ。12年には父親の仕事のためにロンドンに移住。地元のトリニティ音楽院で本格的に学業に励む。音楽院時代から音楽業界では彼の才能はかなり話題に登っていたようで、30年代前半卒業後直ぐに小編成楽団を結成する。イギリス1番のダンス・バンドとして評価され、BBC放送での度々の演奏、そしてホテルやホールでのコンサートは大盛況だったよう。
戦後は舞台公演よりもレコーディングや放送用録音などに活動の軸を移していき40~50名規模の大編成オーケストラを結成。それも約30名をストリングスで占める画期的な“カスケー ディング・ストリングス”奏法で特色を出し人気オーケストラとなる。

クレバノフ (1927-2004)

アメリカのシカゴ生まれ。5歳でヴァイオリンを習い始め神童と騒がれた。20歳でシカゴ交響楽団他で活躍。23歳ころからポピュラー音楽へ転身、自身のソロ演奏を活かした楽団を結成。
58年に発表したアルバム“Moods in Music”は大きなヒットとなり以降数々の作品を制作。ヴァイオリンのテクニックを活かした独特なアレンジ技術が人気を呼び世界中にファンが広がった。幅広いレパートリーの中でも特にラテンがお得意のようです。70年代にはパーシー・フェ イス・オーケストラのコンサートマスターとして来日。

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